【説教音声ファイル】
※最初の数分間の録音が途切れております。ご了承ください。
2018年4月15日説教
聖書箇所:ヨハネによる福音書9章1節~3節
「なんとかなる」
古賀バプテスト教会牧師 泉 清隆
せきつい損傷で手足が麻痺して口に絵筆をくわえて詩と絵を書き続ける群馬県在住の星野富弘さんが、かなり前に茨城県の中学校の文化祭に招かれて講演をされたときのことが新聞記事として載っていました。「助からないと言われ、生きているのが、不思議なほどの怪我をしてから24年たち怪我をするまでと同じ年数を生きてこれました。意義ある年だと思ってやってきました。」ですから、星野さんが48歳の時の事ですね。「……元気な時には気付かなかった多くの事に気付くようになった自分に感動しました。絵と短い文章で、自分の感動を表現することが生きる希望、力づけとなりました。私は一枚の紙に絵と短い文章をそれぞれゆとりを残して中途半端に、どこか物足りなく書きます。足りない者同士が合わさって一枚の作品となるようにしているわけです。家の中でも学校生活でも同じではないでしょうか。完全な人間なんていません。足りないもの同士、補い合ってうまくいくんだと思います。」……「『いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった』と書いた作品があります。多くの人から『それは何ですか』と質問されるそうですが、星野さんは答えないようにしていますというのです。そして、苦しいことや感動を通して人それぞれが力となるものを感じているわけで、言葉で表すと、『そうですか』で終わってしまうというのです。つまりは伝わらないのでしょう。もしあえて言うならば、楽しくわいわい騒ぐようなものからは見つからない、苦しい思いをするから見つかるのではないでしょうか。」というのです。
私はその苦しさや、自分の心の葛藤の中から、行き詰まりの中からしか、星野富弘さんがいうところの感動は出てこないのだろうと思います。さて、皆さんはそれぞれの思いの中に「いのちより大切なもの」を思った事だと思います。私が感じるそれは何かを分かち合いたいと思います。