【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年6月21日説教要旨
聖書箇所 詩編23篇、ヨハネによる福音書14章1~6節
みちしるべ
久留米教会員 渡辺 信一
詩編23編は、150ある詩編の祈りのなかで最も美しい祈り、神への深い信頼に満ちた讃美として、世界中のクリスチャンに知られています。
理由は、単に目先の美しさや信頼にあるのではありません。それは死や別離(わかれ)を前にして覚悟を決めた人間の祈り、親として耐えがたい屈辱のなかで祈られた祈り、讃美だからこそ、今なお人びとの共感を呼び、愛唱聖句として支持されるのではないでしょうか。
ダビデは、息子アブラロムの謀反により王宮を追われ、荒れ野をさまよい、この詩を詠みました。王宮でなく、避難先である荒れ野が、ダビデ自身を磨き上げます。
退路を断たれた荒れ野でこそ、神は「わたしの牧者」として力強く働かれます。神は彼を砂漠のオアシスへと導き、完全に満ち足らせます。神は聖なる御名のゆえにダビデを正しき道へと導きます。死のかげの谷を歩む時でさえ、神は彼を護り、共におられるのです。神が持たれている鞭と杖は、ダビデのために用いられます。神が先陣をきって外敵と闘い、彼を慰めます。ダビデは敵に囲まれているなかでも、神が自分のために宴を開き、人智をはるかに超えた祝福を授けてくださるのだと確信をもって讃美をします。この世に生を受けるかぎり、神の恵みと憐れみはダビデと共に走ります。荒れ野のなかで、ダビデは永遠を想い、主の宮に住むことを心から願い、祈りを締めくくります。
私たちはキリストを通して、ダビデが授けられたのと全く等しい神の護りと祝福と導きにあずかっています。荒れ野を進む私の道標はキリストです。