2018年2月18日説教要旨
聖書箇所:ルカによる福音書5章1節~11節
「イエスとの出会いと新しい人生」
山田雄次
今日の聖書はシモン・ペテロの召命の記事ですが、キーワードは「主よ わたしから離れて下さい。わたしは罪深い者です」(ルカ5:8)というシモン・ペテロの罪告白のことばです。危機の中で絶大な力を持ち、困窮の中にある人間を助けられる生ける神(イエス)がいらっしゃる、その神を信じないでいた罪、そのことに気づかされたシモン・ペテロの罪告白です。人間は自分の空しさを知る迄は神の存在は観念的であり、生まれ変わるためには神の尊厳の前に打たれなくてはなりません。
シモン・ペテロは大漁の出来事との遭遇によりイエスとの出会いを体験し、弟子としての新しい人生が開かれました。前夜、夜通し漁をしたにも拘らず、どうしたことか何も取れないで失意の中で網を洗っていたところ、イエスからもう一度「沖に出て網を下ろしてみなさい」と促されました。内心不満でしたが「しかしおことばですから・・」と言って網を下したところ網が破れそうになるほどの大漁となりました。
イエスから「沖に漕ぎ出して」もう一度「網を下ろして漁をしてみなさい」と言われた時、シモン・ペテロは心よくは思わなかったと思います。むしろプロの漁師であるシモン・ペテロたちが一晩中漁をしても何もとれなかったのに素人であるイエスが何を言うのか・・・、という不快の念を持ったに違いないと思います。ペテロには漁師としての強い自負があったので人生の教師であるとはいえ、イエスに漁のことについて口出ししてもらいたくない・・・という思いがあったからです。
網を下ろしても取れる筈のない悪条件の中でイエスの指示に従うと、経験したことがないほどの奇跡的な大漁を経験し、シモン・ペテロはイエスの絶大な力に触れ震撼とされたのです。イエスの底知れぬ神の子としての力に対し、人間の無力さを徹底して知らされ、恐れを感じ「主よ、私から離れて下さい。私は罪深い者です」と告白したのです。
しかし感謝すべきかな。神の尊厳を知らされ、打ちのめされ、自分に絶望することは同時に絶大な力ある神に依り頼んで希望に生きることに変えられるということです!神に依り頼んで生きる者に変えられることで「沖へ漕ぎ出し・・・・漁をする(私たちがこれから担うべき課題に積極的に取り組んでゆく)」ことが出来、新しい人生が開かれてゆくのです!