【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年5月7日説教要旨
聖書箇所 ヨハネ福音書14:1~6
キリストの道をともに
西南学院バプテスト教会協力牧師
踊 一郎
新約聖書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書があります。それぞれの著者は、主イエスの言葉と働き、特に十字架と復活を正確に書き記そうとしたことでしょう。しかし細心の注意を払って書き記しながらも、その難しさを痛感したのではないでしょうか。ヨハネ福音書は記しています。
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。ヨハネ20:30
イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。ヨハネ21:25
それにも関わらず彼らが自らの福音書を必死に書き記したのは、私たちに真の救いを届けるためでした。
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。ヨハネ20:31
さて、ヨハネ福音書には、「わたしは~である」という特徴的な表現が7回も出てくるのに気づきます。「わたしは命のパンである」(ヨハネ6:35)、「わたしは世の光である」(ヨハネ8:12)、「わたしは羊の門である」(ヨハネ10:7)、「わたしはよい羊飼いである」(ヨハネ10:11)、「わたしはよみがえりであり、命である」(ヨハネ11:25)、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)、「わたしはまことのぶどうの木である」(ヨハネ15:1)
どうしてヨハネは比喩を使ったのでしょうか。神学者ゲルト・タイセンは、従来の伝統的な尊称ではイエスの偉大さを十分には表現しきれない、イエスは私たちの理解をはるかに超えた偉大な方、それを伝えるために著者は比喩を使ったキリスト論によって従来の理解を凌駕しようとしたと言うのです。
今朝は7つのうち、特にヨハネ14:6に注目したいのです。
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。
「道」「真理」「命」と3つの単語が並んでおり、「道」が最初にあるのは、そこにアクセントが置かれているからです。主イエスはその生涯を通して、特に十字架と復活を通して新たな道を拓いてくださいました。主イエスこそ「命に至る真の道」なのです。道は眺めるだけのものではありません。何よりも歩くためのものです。目的地に向かうためのものです。主イエスは言われました。「わたしについて来なさい」(マタイ4:19)。教会は主イエスが拓いてくださった確かな道を共に歩む群れなのです。