ユダヤ教徒によるエルサレム教会への迫害で、ギリシャ語を話すユダヤ人の多くがエルサレムから離れて行ったことが、6:1、8:1に記されています。こうして散らされた人々は、その先で福音を宣べ伝えていったものの、ユダヤ人以外にはみ言葉を伝えなかったと19節に記されています。ここに当時、ユダヤ教の枠を超えることが出来ずにいた弟子たちの限界と、その様子が伺えます。しかし、そうしたしがらみから自由な人たちがいました。キプロスやキレネ(アフリカ。ギリシャの対岸)から来た人たちは、ユダヤの壁を越えて、ギリシャ語を話す人たちにも福音を伝えたのです。そこには、彼ら自身の喜びからくる自由さがありました。
ユダヤ教を背景にもたない人たちがイエス様を信じるようになっていったことは、エルサレムにある教会を心配させました。なぜなら、エルサレム教会の人たちは、自分たちこそが主流派だという考えを持ち、自分たちの手の及ばないところで新しい出来事が起こっていることへの不安を覚えたからです。そしてエルサレム教会の人たちは、アンテオケの教会に人望のあったバルナバを遣わし、その様子を見てこさせます。自分たちこそが中心だと思い込んでいる人たちのあずかり知らぬ所でも、神様は恵みの業を起こしておられたのです。
サウロは、ダマスコの途上でイエス様と出会い、回心してキリストの福音を伝えるようになっていました。けれども彼は、ユダヤ人からは命を狙われ、エルサレムの弟子たちにも受け入れられず、生まれ故郷のタルソスに逃げ込んでいました(19~30節)。イエス様と出会い、新しい出発を始めたはずのサウロでしたが、その歩みは決して順調ではなかったのです。こうしたことに意気消沈していたであろうサウロでしたが、バルナバは彼を活躍の場へと引き出すのです。バルナバは、サウロが回心した直後にエルサレムに来たとき、まだ疑いの目でサウロを見ていた使徒たちに紹介した人物でした(9:27)。こうしてサウロはバルナバに見出され、アンテオケ教会の一員に加えられることで、再び新しい歩みを始めることが出来ました。
アンテオケの教会で、弟子たちが初めて「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになったと報告されています。淡々とした報告ですが、これは大きな意味があります。それは、クリスチャンと呼ばれる人たちのルーツが、主流派を自称していたエルサレムの教会ではなく、異邦人教会であるアンテオケにこそあるということです。そしてその内実として、大飢饉が起こったときにエルサレム教会を支えようとしたアンテオケ教会の姿が描き出されています。
クリスチャンとは、イエス様をキリストとして信じるということに留まらず、その福音に示された愛を生きる者たちのことを指します。そのことは、「援助の品」(11:29新共同訳)が、奉仕を意味する「ディアコニア」という単語であることにも表れています。自分たちこそが保守本流だとして異邦人教会を見下し、自分たちの支配下に置こうとするエルサレム教会に対して、アンテオケ教会のクリスチャンたちは、兄弟姉妹としてそれを支え、励まそうとしたのです。
私たちクリスチャンが敬虔さを保つには、どのような思いでいることが必要でしょうか。神様がいつも私たちとともにおられることを知って信頼するとき、不安やむなしさから解放され、慰めと平安を得ます。神様のご臨在の中で生きることは、クリスチャンが追求すべき最上の人生なのです。
説教要旨 2015.4.19(第3主日)牧師 岩橋 隆二