2018年2月25日説教要旨 ヨブ記 16:19~22
「ヨブの悲哀」
瀬戸毅義
ヨブ記は数々の災難に遭遇し苦しみつつも、義人ヨブが神に回答を求める話である。人生の苦難の理由を追求した文学の上でも不朽の作品といわれている。
ヨブは人も羨む幸福な人であった。7人の息子と3人の娘があった。財産も沢山あった。幸せを絵に描いたような家族であった。ところが突然の不幸が一家を襲った。財産は消失し子供たちも全員不慮の死を遂げた。全てはあっという間の出来事であった。その際、ヨブのはこう言ったという。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(1章21節)その後も不幸は撃ち続き、彼の全身は病に侵され家を出て村外れに住んだ。余りのことに彼の愛する妻までがこう言った。「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」(2章9節)。
ヨブは次のように言った。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」(2章10節)更に続けて言った。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(前回の説教)
3人の友が見舞いに来た。「落ちぶれて、袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知る」という言葉があるが、3人の友は真の友であった。箴言には「友はいずれの時にも愛する」(17:17)とある。ヨブの友は心を尽くしてヨブを励ました。「 考えてみなさい。罪のない人が滅ぼされ正しい人が絶たれたことがあるかどうか。わたしの見てきたところでは、災いを耕し、労苦を蒔く者が災いと労苦を収穫することになっている」(ヨブ4:7-89。これが彼らの論点であった。必ずしも間違いでない。
4:9 彼らは神の息によって滅び/怒りの息吹によって消えうせる。要点は「骨子はこれほどの災難はヨブの罪の結果であり、彼はその報いを受けたのだと言いました。ヨブが罪を告白し悔い改めれば、神は許され繁栄を回復して下さるだろうといいました。いわゆる因果応報の考え方です。ヨブは自分の罪を認めていましたが、それが彼の災難の原因だと決め付けられましたので、どうしても納得できません。
ヨブは友人たちに反論しました。また神に向かって、自分は何もしていないのに、なぜ不当な苦難を与えられるのかと涙ながらに訴えました。最後に神ご自身がヨブに語られ、人知を超越した知恵と力を示されました。苦難の理由についての説明はありませんでしたが、ヨブは神が自分を愛し信頼しておられることを知って神を責めたことを悔いました。
「わたしは知っている、わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。」(19節25節)これはヨブがイエス・キリストを待ち望んでいいたことを示すと言われている聖句です。
英語にthe patience of Jobという言葉がありますが、ヨブのような忍耐強さという意味です。
ヨブ記は旧約聖書の中の知恵文学の範疇に入ります。箴言、コヘレトの言葉(伝道の書)、続編(外典)のベン・シラの知恵、ソロモンの知恵も知恵文学に含まれます。