【聖書箇所朗読・説教音声ファイル】
2018年10月7日説教要旨
聖書箇所 ローマ人への手紙 8章28節
万事を益に
瀬戸毅義
ある教会員の方から戴いた一冊の書物に次のように書いてありました。
人間は死すべきものである。私は、人間である。それゆえ、私も、死ななければならない。この三段論法は、昔から、いいふるされてきた。しかも、現代においても、それは、動かすことのできない真理である。人間が、死を忘れて、生に対して自信を持ちすぎているということと、死ななければならないという事実とは、別々の二本の線である。この二本の線は、人間の気持の上では、どうしても、交わることのできない平行線である。しかし。現実の事実としては、この二本の直線は、かならず、交わる。いまだかつて、この二本の交わらなかったという例は、一度もない。それが交わった場合に、その交点において、人間の生命は、完全に否定される。そして、人間の自信は、無残に踏みにじられる。自分は白骨と髑髏とひとにぎりの灰だけになる。そして永久にこの世から消えてなくなってしまうのである。(岸本英夫『死をみつめる心』講談社文庫)」
普段私たちは「我らは死ぬべき存在である」ということを考えません。メメント モリ(memento mori)という言葉を思います。{ラテン語}汝(なんじ)は死を覚悟せよ(remember that thou must die)という意味ですね。死に例外はありません。聖書は記します。「なぜなら、わたしたちは皆、(死んだあと)キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである」(第2コリント5:10)。「賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか」(コヘレトの言葉2:16)。
峻厳な死の現実に対し聖書の言葉は何と慰めに満ちていることでしょう。「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」(ロマ6:23)。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(口語訳ロマ8:28)。この聖句を別の訳で読みましょう。「そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである」(塚本虎二訳)。すべてのこと(all things, everything)です。成功も失敗も、順境も逆境も、貧も富も、幸運も不運も健康も病気もすべてです。キリスト者には万事が救いに導く恩恵となります。万事を益となるようには「善となるように」。We know that in everything God works for good with those who love him, who are called according to his purpose.(NRSV)「 神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです」(2テモテ 1:9 新共同訳)。私たちの救いは、神のご計画に拠ります。それ故これほど確実なことはありません。(召天者記念礼拝)