【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年9月28日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書6章1~15節
五千人の給食から
原田 寛
ガリラヤは、イスラエルの北部でガリラヤ湖を含めた地帯です。イエス様と弟子たちとの出会いの場でした。そして、イエス様の福音宣教の主な活動地です。振り返れば、イエス様との思い出深い地域でした。そんなガリラヤは、「異邦人のガリラヤ」と呼ばれ、「ガリラヤから何の良いものが出ようか」とユダヤから揶揄されていました。近くにローマ帝国軍の町カイザリアが建設され、この町を支える産業が発展しました。また、陸路でエジプトとギリシャやローマを結ぶ交通の要衝と考えられ、多文化と接して、多くの財を生み出す地域でした。
今回のイエス様の奇跡は、ガリラヤ湖の西の町カファルナウムの反対側で行われました。イエス様は、弟子たちと時間を過ごすために向かわれましたが、群衆は、御言葉の養いと病からの癒しなどを求めてついていきました。その数は、男性で約五千人。女性と子どもの数は記されていません。現在の教会の男女比を考えると、女性は男性の1.5倍(18歳以上)ほどです。子どもは、大人の陰に隠れてわかりませんが、かなりの数の子どもたちがいたと考えられます。当時の家族は、親、子どもに加えて親の兄弟姉妹、奴隷とその家族で構成されていたと考えられます。イエス様のもとには家族総出で集うこともあったと考えられます。イエス様の家族は、マリアとヨセフにイエス、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダとイエス様の妹数人であったと言われています。ここに父ヨセフの兄弟と妻と子どもが加わるとどうでしょう。
イエス様から「どこでパンを買ってきて食べさせようか」。無茶な話が出されます。しかし、集まってきた人たちの事情に精通すると思われるアンデレが前向きに「ここに大麦のパン五つと二匹の魚をもった少年がいる」と少年のことを紹介するのです。ミラクルの始まりですが、何があるのか誰も何も解っていません。マタイ福音書では、群衆を約50人毎に座らせます。50人というのは、そこにいるのは誰かと判別できるような人数です。
群衆は、イエス様の言葉を聞き、行いを見、祈りや行為を受けてきました。それは、とても嬉しいことでした。現在進行形で進められた少年の献げ物とイエス様の祝福と感謝を受けて配られた大麦のパンと二匹の魚が人々の心に満ちる喜びと結び着くのです。
群衆の中には、イエス様に触れて祝福していただいた子どもたちとその親たちが居たでしょう。群衆は、イエス様が述べた「子どもたちを私のところに来させなさい。神の国はこのような者の国である・・・」(マルコ10.13以下)を聞いています。また、イエス様によって病を癒された人とその家族もいたでしょう。「恐れることはない、ただ信じなさい」と御言葉を聞いた会堂長ヤイロと生き返った娘もいたのではないでしょうか。イエス様は、カナで水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。その新婚カップルもいたかもしれません。
イエス様は、それぞれの人生に深く関与する神の国の言葉を伝えていました。群衆は、そのグループごとに交わりの機会が与えられ、同時に食べ物が分けられて、空腹が満たされます。誰が持ってきたのか、知る人ぞ知る。そして、それぞれの交わりで喜びが広げられる。
交わりは、良いことばかりではありません。克服したい課題や祈ってもらいたい事柄、不安に打ちひしがれる内情なども分かち合われるのです。御言葉と祈りを共有することになります。そして、みな分かっています。導いてくださる主が共におられるということ。