【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年10月20日説教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙二6章1~2節
今は、恵みの時
原田 寛
救いの日を覚えていますか。
恵みを受けたときのことを覚えていますか。
なぜ、こういう問いがあるのか。それは、神の救いと恵みを思い出せないほどの試練や、自分のことを振り返ることができないような忙しい現実があるからではないでしょうか。その際に、信じて生きたことの無力さ、考えてきたことの空虚さ、虚無感に苛まれるのです。
そして、この現実を受け入れて、何かを変えなければならない。自分自身にどのような意味があるのか、まわりの人たちにはどんな影響があるのかと考えます。また、そのように考える余裕はないというような場合もあります。そして、そのような中で心が疲弊していく場合も多いのです。
コリントの教会は、人と人とが対立をして派閥をつくり、それぞれの信仰を訴え合うに至っていた。それに伴って、教会の秩序も乱れ、ストレスフルな状態であったと思われます。パウロは、そのようなコリント教会を思い、十字架につけられ殺され三日目に復活された主イエス・キリストを改めて指し示しているのでしょう。
パウロは「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた。」とイザヤ書49章8節を引用して、主なる神を意識させます。キリスト者は、みな、イエス・キリストを通して、神に祈りを聞いていただき、救われてきたからです。
「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」パウロは、自らの経験を重ねて、このように示します。ストレスが溜まっていくとき、人の心は狭くなります。しかし、信仰者は、神の御旨が反映していくことを知っていますから、現実の中に信仰の事柄を見出し、主イエスにあって、恵みと救いを得て豊かにされていることを覚えるのです。
わたしたちは、再び今週の新たな歩みへと出かけます。それは、救いと恵みに開かれていく日に向かっているということでしょう。