【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年3月24日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書 20章24~29節
出会い、出会いなおす
劉 雯竹
皆さんは今、何を信じて生きているでしょうか。これが正しいと考え、実行していること、今、大切にしていることはありますか。近年の流行り言葉として、「自分軸」をよく耳にします。自分軸は「自分がどうしたいか、どうありたいのか」「何を信じて生きていけばいいか」を基準に行動することを意味する言葉です。変わりつつある世界で、「自分軸」を持って自由に生きることは、どんなに素晴らしいことだろうと思います。しかし、「自分軸」はすぐに持てるものではなく、人の成長に時間がかかるように、時間をかけてゆっくりと身につける必要があります。柔軟な心を持って色んな相手と関わり、様々なことを経験することが大切でしょう。
毎年の2月、西南学院大学主催の海外ボランティアワークキャンプに大学生と一緒に参加しています。昨年の参加者たちが現地の方々に教わりながら、服などを洗う洗剤を作ったり、台ふきで使用するためのマサハンを布で塗ったり、生計を立てるための労働としてトライシカッド運転を体験したりしました。マサハン一枚を、2ペソ(4円)という安い値段で売ること、トライシカッド運転手の一日稼いだ賃金は家族全員を養うのにやっとの金額だと知った学生は戸惑いました。一方で、貧困地域に住んでいるとは思えないぐらいの明るさ、優しさを持っている人たちと出会った学生たちは、貧困地域に住む人々のことを勝手に「貧困」と決めつけることは違うんじゃないか、と現地の方との出会いを通して気づかされたのです。
今日の聖書は、十字架で死なれ、葬られたイエス・キリストが復活し、弟子たちの前に現れた場面です。たまたまその場に居合わせなかった弟子トマスは、イエスを見たという仲間たちの証言を聞いて、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」意地を張って言いました。不安で、寂しくて、やがて信仰共同体の中で孤立へと向かうということにもなりかねないトマスを、イエスは放っておけなかった。八日後に、イエスはもう一度来られました。ご自分の傷跡を示しつつ、愛の眼差しでトマスを見つめられました。イエスの傷跡を見たトマスは、ちっぽけな自分と深い愛を持つイエスと出会いなおし、「私の主、私の神」と告白をしたのです。
イエス様は、弟子たちが思い描いた理想の英雄の姿で神の真理と救いを示さなかった。その逆の道を歩まれました。貧しくなられ、力を捨て、十字架という残酷な刑罰で殺されてしまいました。イエスは、「力を捨てることでしか得られない平和がある」「自分の命を犠牲にすることでしか与えられない救いがある」と命かけて伝えてくださいました。そのメッセージを受け取った私たちはこれから何を軸に生きていくか、共に考えていきましょう。