【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年11月16日説教要旨
聖書箇所 ローマの信徒への手紙11章33~36節
国と力と栄光は・・・
原田 寛
わたしたちは、主の祈りのおわりの言葉、「国と力と栄光は永遠にあなたのものです」と祈ります。この部分は、福音書が告げる「主の祈り」にはありません。初代教会は、礼拝などで用いるためにこの部分を「付加」し、祈祷文として完成させたものということです。
「主の祈り」をささげる際、わたしたちは、私たち自身の祈りとしてささげていきます。「国と力と栄光」は、信仰者として歩む人のすべての現実をからささげられるものと考えます。「国」は「神の国」を指しています。神がおられるところと解すれば、それは、今を神と共に生きるわたしたちの「場」が含まれています。「力」は、「神の力」で、すべてを支配する権威としての「力」であることを表します。神の力を別の言葉で表すなら「恩寵」です。すべての人が神の『恩寵』の下に歩んでいるということです。「栄光」は「神の栄光」。人間が表す言葉では、表しつくせない栄光が神にあります。神の「国と力と栄光」は永遠に神のものです。
たとえば、この言葉をMLBのポストシーズンですべての力を出し尽くして大活躍して世界中から称賛を受けている大谷翔平が「国と力と栄光はすべてあなたのものです」と祈ると、とても素晴らしく意味のとおる感じがいたします。しかしたとえ、成果が思わしくなくても、あるいはまったく思いとは逆のことに接していても、この祈りの言葉は大切です。
わたしたちが自分の祈りをささげる時、こころからの思いを尽くして祈ります。そんな言葉を神は無視することはありません。みな、祈ったことが聞かれたという経験をもっています。それは、本当に「良かった」という思いで満たされるものです。
また、父なる神様と相対して歩む時は、自分に不都合な現実を受け入れなければならない時もあります。受け入れた先にあるのは、神の恵みです。神は、わたしたちと共にいて、わたしたちのすべてのことを知り、わたしたちの罪の赦しと救いを実現されます。わたしたちは、わたしたちの祈りを聞いて導いてくださる父なる神に対して、わたしたちのこころを込めた感謝と讃美をささげることが求められています。
パウロは、計り難い神の計画と知恵があるものだと記したあと、「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン」と告白し祈りました。パウロ自身も神を語りつくすことはできません。私たちは、すべてを理解できませんが、しかし、神は、神の救いの計画を進めておられます。そして、神は信じる者と共におられ共に歩まれます。主の祈りの〆の言葉は、わたしたちのすべてを込めて感謝と讃美をもって神をたたえる言葉なのです。
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