【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年9月22日説教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙二4章7~15節
土の器に納めた宝
原田 寛
土の器と言われています。それは、わたしたち自身を指しています。土は、「土・アダマの塵で人・アダムを形づくり、あおの鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2章7節)の土からきています。器は、工人の手によって土が加工されて作れ、器には、飲料、食料に限らず、様々なものを納めることができます。パウロは、この「土の器」をひとりひとりに置き換えているのです。そして、ひとりひとりは、十字架に殺され三日目に復活したイエス・キリストを知ることの豊かさを「宝」として納めるのです。
その豊かさは、「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命が現れるため」というものです。これは、主イエスの死と復活の希望を指していますし、パウロは神に託された使命を生きることを表しているのです。
金の器や銀の器のように世の中における良いものと比較して、「土の器に過ぎない」という自身の謙遜を示す言葉としてありますが、パウロは、そのような意味でなく、壊れてしまいそうな器も神によって素晴らしい宝を納めているのですよと示しているのです。器としては、小さくつたないものかもしれませんが、神が与えたものは、何にも代えることはできないとても素晴らしいものなのです。神の恵みを喜び感謝しつつ、歩んでまいりましょう。