【説教音声ファイル】
2020年3月1日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書9章10節~17節
大いなる日
かたえ教会伝道主事 興津 吉英
福音書が伝えているイエス様の奇跡物語にはいくつかの型がある。病気に苦しんでいる人を癒す奇跡、叱って嵐を静めたり湖の上を歩く自然に働きかける奇跡などです。今日の箇所の物語は、それらのどれとも違う独特なもの。癒しの奇跡なら、人を救うイエス様の愛、自然の奇跡ならイエス様の神の子としての力、というふうに解釈することができるが、この箇所は、それらの複合というか、単純ではない。その意味で最も理解が難しい出来事の物語が、ヨハネも含めた四つの福音書すべてで伝えられてる。人々によほど大きな深いインパクトを与える出来事があったにちがいない。
季節は早春、時刻は夕方近く、場所は人里離れた山の上。青草の上という言葉もみえる。そういうまだ肌寒い春の夕べ、男だけで5000人というのだから、全部では10000人を超す人びとに奇跡的に食事が与えられたという、ある意味で荒唐無稽のような話だ。先に述べたように、癒やしでもなければ、救いともいえない、いったいどんな意味があるのだろうという話だ。その不可解さは古来聖書解釈者を悩ませてき、さまざまな解釈が為されてきた。
謎のような話だが、聖書は私たちに謎解きを求めて書かれたのではなく、私たちもそういうことを求めて聖書を読むわけではない。私自身決して充分理解できているとは言えないが、次のような三つのことをこの御言葉から聴けるのではないかと思う。
第一に、弟子達すなわち教会に連なる私たちには大切な、取り次ぐ働きがイエス様から命じられており、ほんとうにわずかなものしか持たなくとも用いられるということ。残りを集める事は神様の恵みを無にしないことを表し、それは12のかご、すなわちイスラエル12部族さらに言えばすべての人びとをも満たす事につながっていく。
第二に、まず弟子達(子どもたち)が差し出したのに触発されて、人びとが自分のためと持っていた食物を心一つになって出し合ったという出来事が核にあったのでは。食べ物と言うよりも、人びとの心が変えられた奇跡。それは昨今の格差に満ちた社会を克服し、孤立と分断を越えた共同性の実現を指し示すのではないか。
第三に、旧約聖書が約束していた「やがて、神ご自身がこの山で祝宴を開き、民を養って下さる」という約束、イエス様の到来によって、その約束が今実現しつつあることを示す出来事だと言える。「いくつかの奇跡の一つ」ではない、特別のしるしであることが、ルカによる福音書では強調されている。