【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年9月6日説教要旨
聖書箇所 創世記28:10-17
天のはしご
瀬戸 毅義
ヤコブという青年がいました。父の家を出て母リベカの兄ラバンの所に行こうと旅にでました。ある日の夕暮れ、ベテルというところまで来ました。その頃、ベテルはまだ寂しい場所でした。現在のアラビヤ人もそうですが、砂漠地方の旅は日差しの強い昼を避け夜にすることがありました。ヤコブは石を枕として休みました。
乳母日傘(おんばひがさ)で育つといいますがヤコブにはそういう一面がありました。今までは何一つ苦労のない暮らしをしていたのですが、今日は人を恐れて、わびしく旅の途中に石を枕に眠ろうとします。父や兄のエサウをだました結果、どうにもならなくなって夜逃げのような一人旅です。心中に恐れと後悔がありました。
その夜、彼は夢をみました。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見たのです。はしご(スラーム)とは普通のはしごではなく階段の方が正確。ベテルの付近の丘には平らな石が重なり合って階段のようになっていました。それを眺めながら眠りについたヤコブは夢の中に階段と神様を結び付けたのでしょうか。
「可愛い子には旅をさせよ」の言葉は真実です。人間は親元を離れ異郷に孤独浪々の身となって、自己を内省し神の声を聞くのです。若いときの苦労はいくらしてもいいのです。ヤコブは泣き寝入りで眠ってしまいました。そこはひどい荒れ野でしたが神はおられました。驚きました。知らぬ間に天使たちが上り下りして彼を守っていたのです。
これはヤコブには大きな発見でした。彼は朝起きてそこで神を礼拝し記念に石の柱をたてました。
キリストの言葉を思い出します。「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」(ヨハネ1:51)。天の父への道はイエス・キリストです。ヤコブは父と兄をごまかした人間ですからイエス様とは全く違う人物です。そのヤコブに神は語りかけられます。「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう。」
世界の各地域にはその地域の守り神がいます。その神はその地方、地域の人々を守ります。日本にも氏神という言葉があります。氏神は「住む土地の鎮守の神。産土神(うぶすながみ)」です(広辞苑)。
聖書の神(ヤーウエ・文語でエホバ)はちがいます。異国に行っても異郷に住んでも、共にいてくださるのです。何とありがたいお方でしょうか。私はこの神様を信じて一生お従いしたいと思います。
聖書を調べました。
- わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。(ヨシュア記1:5)
- 恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。(イザヤ41:10)
- 彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである。(エレミヤ1:8,19)
- 見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである(マタイ28:20)。
- ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている(For I am with you.)」(行伝18:10)。
このように聖書の神様は共にいてくださるお方、励ましてくださるお方です。
私たちが自分で難行苦行して神に近づくのではありません。神ははしごの上にいて、上からヤコブを招かれません。ご自分から下におりてこられるのです。
13節の言葉は、ヤコブの祖父アブラハムに言われた言葉とおなじです。ヤコブは父からいつもこの言葉を聞いていました。ですからほとんど諳んじていたのでしょう。信仰の継承の大切さを教えられます。教会学校の大切さも同じです。
中3の時、クラス担任の松岡吾一先生は入試を前にして不安なわたしたちを励ますため、和歌一首を黒板に書かれました。
若いころ幾たびもこの歌に励まされました。クリスチャンとなった今は次のように考えるようになりました。