僕は5日間とても淋しい思いをした。月曜日の朝牧師さんは、普段より早い3時半に床をたたみ、2階寝室から1階へ下りていった。僕もいつものように一緒についていったのだけど、いつものゆったりとした朝の動きの様子とは違っていた。まず用意してくれた僕の朝食からが違った。普段食べている中で一番高価なマグロ缶を、それも多めに盛ってくれた。そして牧師さんは、慌ただしく着替えて、僕の頭を撫でながら「チーちゃん、おりこうさんしとくんだよ」と言って、旅行ケースと共に出掛けて行った。五感の鋭い僕は、何か分からないが一抹の不安を覚えた。
一日目の夜、やはり牧師さんは帰って来なかった。いつもは10時になると「チーちゃん(僕の正式な名前は“岩橋一郎”なんだけど、チーチーと甘え声を発するので今のところチーちゃんと呼ばれている)寝ようか」と声を掛けてくれる牧師さんと一緒に寝室に行くのだが、今日は勝手が違う。仕方なく居間のソファで夜を明かした。
牧師さんがいない二日目の朝、牧師さんの奥さんが僕の朝食を用意してくれた。いつもは鰹の缶詰が朝一番の定番だけど、今日は違った。昼間に食べるカリカリだった。牧師さんの代わりに食事を用意してくれた奥さんに感謝しなければならないのだけど、微妙な違いに戸惑いを覚える僕がいた。夜になったけれど、今日も牧師さんは帰って来なかった。暫くの間、書斎の牧師さんの匂いがする椅子の上や居間のソファで休んでいたが、どうにも淋しくなって我慢できなくなり、夜中に奥さんの布団の縁で寝た。
牧師さんがいない三日目になった。今日にはきっと牧師さんは帰って来て、いつものように「チー坊、帰ったよー」と僕を呼んでくれると待っていたが、今日も帰って来なかった。段々と不安が増してきた。僕の個性を重んじ、大事にしてくれる牧師さんがこのまま帰って来なかったらどうしよう。叱ることの多い奥さんとやっていけるだろうか。僕の将来はどうなるのだろうか。「明日のことを思いわずらうな、明日は明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である。」と牧師さんはいつも言っているけど、僕はまだよく聖書のことは知らないので、とても不安でたまらないのだ。
四日目、牧師さんの奥さんとの生活も少しは慣れてはきたけれど、叱られているばかりだ。食卓の上に上がっては「ここはダメと言ったでしょう!」と言って手で払われ、ソファで爪を研いでは「むこうの爪とぎでしなさい!」と怒られる、と云った具合で、今日も十数回は叱られたかな。そんな時牧師さんは、ほとんど叱りはしない。大抵は見過ごしてくれる。特別な「悪さ」をした時だけ、牧師さんは、僕の首筋をしっかりと掴んで身動きを封じ、目を見ながら「これはダメだよ!」と鼻先を中指でツンと弾くのだ。そして暫くの時間しらんぷり。これは堪えるよ。今日も牧師さんは帰ってこない。少しストレスで鬱気味になってきた。
五日目の夜中1時過ぎだった。「ただいまー」と牧師さんの声がした。僕は急いで寝室から玄関に走っていった。僕は嬉しくて牧師さんにスリスリをすると、「チー坊はおりこうさんしてたかい」と抱きしめてくれた。僕は泣き出しそうになった。