「祝福される教会の歩み」 牧師 川内研二
私は約20年前に博多キリスト教会に導かれました。その教会の牧師が9月14日に説教者としてお招きした川内研二先生です。少しお話ししただけで、温厚で実直、謙虚な先生であることが分かりました。程なくバプテスマを授かり、キリスト者としての基本を教えていただきました。振り返って見ますと当時の川内先生は、50歳代前半の働き盛りであったわけで、先生の牧会の最も充実した時期に9年間在籍したことは大きな恵みと喜びでした。
川内先生からは多くのことを学ばせていただきましたが、特に二つのことが身に着いたと思います。その一つは「祈り」です。バプテスマ後の学びにおいて、1年半年に亘って毎週礼拝前のひと時、牧師室においてマンツーマンの指導を得たのです。この時期、他にもバプテスマを受けた人が数人いて一緒に学ぶ筈だったのですが、この方々が何らかの理由で出席できなくなり、結果的に私が先生を独占する形になったのです。古くからの教会員の方からは羨まれもしましたが、「祈り」について何もわからない私にとって、「祈りの意味」を理屈ではなく実践で教えてくださったことを思う時、豊かな恵みの「訓練」が与えられていたことを覚え感謝せずにはおれません。その後、祈祷会、早天祈祷会には欠かさず出席し、とりなしの祈りの習慣が身に着いたことは、とても有難いことでした。妻の救霊における継続した11年間の祈りも、この祈りの「訓練」がベースにあってこその恵みだと信じています。
二つ目に「忍耐」を挙げることができます。生来短気で怒りやすい性格だった私でしたが、寛容で穏やかな川内先生に接することで、諸々の出来ごとに少しずつ我慢が出来るようになっていったのです。つまり、キリストに似る者へと変えられていったのです。毎週の礼拝説教1時間は、辛く感じることもありましたが、正に恵みの「忍耐」へと変えられたのでした。
川内先生がいかに謙遜であるかのエピソードを一つご紹介します。私がバプテスマを授かって2年位経った頃だったでしょうか。説教を終えられた先生にある壮年の教会員が次のような言葉を投げかけました。「先生くらいのベテランになると、説教は自由自在でしょうね」。すると川内先生は、「とんでもありません。毎回説教壇でガタガタと震えています。」と言われたのです。傍で聞いていた私は、半分冗談でそう言われたのだと思っていました。数年前、先生にお会いした折にその時のことを尋ねました。先生は、「今でもガタガタ震えています。いつまで経っても説教は慣れません。」と真顔で仰いました。40数年間、数千回の説教を経験してこられた牧師の言葉です。
71歳で牧師を引退された川内先生を、追うように71歳で牧師就任した私です。奇しき縁を大事にいつまでも「師」と仰いでいきたいと願っています。
(2014.9.14)牧師 岩橋隆二