【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年10月26日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書6章10節
御国が来ますように
原田 寛
人々の神への一般的な祈りとして、「家内安全、無病息災」というのがあります。健康を支えて下さい、事故や様々な災難から守って下さいという祈りです。また、「五穀豊穣、商売繫盛」ということばがあります。簡単にいうと、これは、豊作・豊漁、生産性の向上、売上上昇などにともなう生活の安定のことを指していると思います。国や社会が、様々な災難に遭うことなく守られていくようにと願っているということです。
人は、神について、人々のこのような願いを聞いてこそ「神」であると考えているのではないでしょうか。しかし、つきつめれば、自分さえ良ければという自己中心的な考え方に繋がります。人が神を任命しているような・・・。
聖書は、神が天地とすべての生き物とを創造されたと記しています。そして、それらを「極めて良かった」と評価する言葉を述べられます。つまり、神ご自身には、神としての「意志と思い(御心)」があるということです。
わたしたちは、主の祈りにおいて「御国がきますように」「御心が行われますように」と祈ります。この「御国」は、イエス・キリストが示した「神の国」ですし、マタイ福音書が記す「天の国」です。そして、「神の国」は、神が支配しておられる国ということで、神の御心が行われていると信じられています。私たちの祈りは、天(神の国)で行われている「御心」が私たちの間において行われるようにという祈りです。
御心が行われる神の国は、どのようなところでしょうか。聖書にしるされているのは、ヨハネ黙示録21章によれば、神ご自身がおられるところで、きらびやかな都であり、いのちの水の川がながれ、エデンの園のいのちの木が実を実らせているところです。そして、涙がふきとられ苦しみも悲しみもありません。そして何より、「死」がありません。
この地において行われる「御心」というものは、「天」と同じではありません。なぜなら、この「地」においては苦しみと悲しみがあり、命あるものはみな「死」ぬからです。わたしたちが主の祈りにおいて求めている「御心」は、神の国において行われている「御心」に与ることができますようにということです。つまり、それは、主イエス・キリストによって導かれ、的外れな生き方(罪)から解放される神の救いの御業を指して言われます。
新約聖書は、「神は愛である」と告げます。神は、人々に御心を表すために御子イエスを世にお遣わしになったのです。御子イエス・キリストは、すべての人々の罪(的外れ)を担って十字架にかかって死ぬということを通して、神の御心を表してくださったのです。みな信じる者は、神の御国に与ることができるのです。
このようなことを覚えながら「御国が来ますように、御心がおこなわれますように」と主の祈りをささげてまいりましょう。
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