【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年5月21日説教要旨
聖書箇所 マタイ福音書20章1~16節
恵みの支配する神の国
洪淳奎宣教師
(和白バプテスト教会)
イエス様が私たちに教えようとしておられる重要なことは、まさに神の国についてであります。その神の国について、今日イエス様は比喩を通じて私たちに語っておられます。天国は、まるで労働者を雇うために、出かけて行くぶどう園の主人のようだとおっしゃいます。
今そのぶどう園の主人が労働者たちを呼び集めています。最初に、夜が明ける時労働者を呼んで、彼らには一日一デナリの約束をしました。一デナリというのは当時、正規職勤労者の日給だったので、非正規職労働者であるあの人たちには少なくない賃銀だと言えます。主人はまた、午前9時と12時、そして午後3時にも出て行って、人々をぶどう園に送りました。
そして、今日の御言葉を解釈するのに重要な人々が最後に登場します。まさに午後5時にも主人は出て行って、まだその時まで立っている人々も連れて来たのです。当時ユダヤ人たちは一般的に、日が昇る時に仕事を始め、日が暮れる時に仕事を終えたので、彼らはわずか1時間くらいしか働けません。そして、彼らの賃銀はいくらだったか書いてありません。おそらく彼らは誰も自分がいくらもらえるか尋ねることができなかったと思います。なぜなら、彼らはただ働かせてくださること、それ自体に感謝したからでしょう。
夕方になって、いよいよ仕事は終わり、各自に賃銀を払い始めました。一番先に働いた人に賃銀を一番先に払うのが一般的でしょう。ところが、驚くべきことに、最後に来た人から賃銀を払いましたが、彼らに一デナリが与えられました。そして、その光景を見て期待に満ちていた先に働いた人たちにも皆一デナリが与えられたのです。すると、彼らは不平不満を言い始めました。この本文を読む私たちもその状況に置かれていたら、同じ反応を示していたかも知れません。
この比喩は私たちに何を言おうとしているのでしょうか? 今ぶどう園の主人は意図的にこの世の一般的な常識と慣習を覆しています。この世のものとは異なる神の国の重要な属性をこの比喩を通じて、イエス様は私たちに教えてくださるのです。つまり、この世が当然だと思い、重要な価値を置くことが神の国ではそうではないということです。神の国の属性は何かと誰かが尋ねると、神の国は「upside down」なのだと言えるかも知れません。
この場面で多くの人々が不平を言い、主人を恨んでいます。そして、この本文を読む私たちも同じかも知れません。しかし、しばらく考えてみませんか。このように不平を言っている労働者の中で、もらうべき正当な賃銀を受け取れなかった人がいますか? 一人もいません。むしろ皆が豊かにもらいました。では、損をした人はいますか? います。一人だけが損をしました。それは、ぶどう園の主人であります。損をして犠牲になった人は、まさにぶどう園の主人なのであります。
神の国は、その主人が最も多く損をし犠牲になり、何の資格もない私たちをぶどう園に送り、また豊かな恵みを受けるようにされるところであります。父なる神様は私たちのために御子イエス・キリストをこの地にお送りになりました。そして、その尊い犠牲と愛の上に新たな恵みの秩序があふれるところ、そういうところがまさに神の国なのであります。