【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年7月30日説教要旨
ルカによる福音書 12章13~21節
愚かな金持ちのたとえ
平尾バプテスト教会
肘井 利美
本日の聖書箇所のタイトルには、『愚かな金持ちのたとえ』と表わされています。
このルカによる福音書12章では、イエス様が多くの群衆を前に「真理の問題」について語っておられる所に、ひとりの男が出てきて、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」と自分の遺産相続の問題の解決をイエス様に願い出たというのです。
この時イエス様はこういう問いに対して、「裁判官や調停人」のような答え方はされませんでした。しかし、もっと深いところでこの問題を取り扱ってくださいました。
それは、この問題は人間の奥底に潜んでいる貪欲の問題であるということを教えてくださったのです。『貪欲』とは物欲,金銭欲、食欲等と欲が強く、自分で手に入れたものではなかなか満足せず、さらに、さらにと、とめどなく欲しがることです。
そして「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」と言われました。
そして、その際イエス様が話して下さったのが、「愚かな金持ちのたとえ」の話しであります。
ある金持ちの畑がたいへんな豊作になりました。そこで金持ちは、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と悩み、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。』と思いついたのでした。彼はこの思いつきに非常に満足をしまして、いい気になってこう言いました。『たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』と。ところがその晩神様が現れましてこう言ったのでした。『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。
イエス様のこのお話しは、特別難しい話ではありません。しかし、うっかり読むこともできない話なのです。たとえば、皆さんはこの譬え話を読んでどんな感想をお持ちになったでしょうか。どんなに金品をもっていても死んでしまえばおしまいだという風にお感じになった方も多いのではないかと思います。けれども、イエス様はお金持ちが悪いと言っているのではないのです。お金なんか欲しがるのは、愚か者だと言っているのでもありません。
イエス様がこの譬え話で教えておられることは、金持ちが悪いということではなく、愚かであることが悪いと教えておられるのです。そして、その愚かさのもとは人間の心の奥深くに横たわっている貪欲であると言っておられるのです。
貪欲とは何でしょうか、決して満たされることのない限りのない欲望、これが貪欲であります。けれども、どうして人間というのはこうも欲深で、貪欲になってしまうのか。人間の貪欲の正体はいったい何なのか。それを解決していくためにはどうすればよいのかということを本日は皆さんとご一緒にもう少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。