【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年8月27日説教要約
聖書箇所 詩篇18編7節~20節
感謝-救いの歌
宗広 一美
今日与えられています<みことば>は、3000年近くも前に歌われた歌ですが、あらゆる戦いの末に到達したダビデ王の歌です。彼は一体、戦いの末に何を得たのか<みことば>に聞いて行きたいと思います。
この詩篇18編は、詩篇の中では、その起源がはっきりとしています。この歌の起源となっているのは、サムエル記下22章です。その1節には、この詩篇の見出しと同様のことが語られています。いわく“ダビデは、主がすべての敵の手から、またサウルの手から彼を救い出された日に、次の言葉をもって主に歌をささげた。”とあります。そしてサムエル記23章からは、ダビデの最後のことばが記されています。そういう意味では、この詩篇18編は、ダビデの最後の歌になるでしょう。そう見て行きますと、ダビデの戦いは、近隣の国々や同胞のサウル王ばかりでなく、自分自身の身からでた息子アブサロムとの戦いも含まれるでしょう。とりわけアブサロムとの戦いは、まさに身から出たさび、つまりは自分自身の邪悪との戦いでした。彼は自分が王になって、周りに敵がいなくなった途端、自分の部下ウリヤの妻バテシバを自らのものとしました。そして、ウリヤを殺しました。すなわち彼自身の中に巣造っている悪、自分中心のエゴが露わになって行きました。これが、彼にとっての最大の敵だったのです。
そしてダビデの戦いの最後は、モーセの最後に似ています。なぜならダビデもまたモーセが約束の地を前にして、心の目で見せられた神の国への信仰が、希望が与えられたのだと私は解釈致します。それは、キリスト-イエス様を通して成就して行く神の国に違いありません。なぜなら彼らにも永遠の愛があることが示されているからです。そして現代の私たちにも、この変わらぬ愛があることを信仰の先輩たちは、示し続けてくれています。ダビデをして歌わせた主の変わらぬ愛が、今もあります。この愛は、自分の力で手に入れることのできるようなものでは、ありませんが、すべての人に与えられたものです。こう言われています。“神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。・・”と。