イエス・キリストが生まれたとされる場所―――ベツレヘムの馬槽
筑紫野南キリスト教会 2017年12月24日 クリスマスイブ礼拝説教要旨 「救い主はどんな人?」 瀬戸毅義
「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」ルカ2:6:7
ユダヤ人の間には昔から救い主(キリスト=救い主)誕生に対ずる希求がありました。それは罪をおかして死の運命を担うようになった人々を救うために、神が救世主(キリスト)をお遣わしになるとの長年の希望でした。ベツレヘムの馬槽に生まれたこの嬰児こそ、後に人々の罪を背負って十字架に附けられたイエス・キリスト様であります。世界の誰もが求めている救世主はこんなお方であるというのですから、驚くべきことではありませんか。キリストとは万民の救世主、メシアという意味です。イエス・キリストにお従いするときに真実の幸福がもたらされます。私達の世界は清らかなものではありません。苦労があれば涙もあります。戦争もあれば不正もあります。どこで本当の幸せを手に入れることができるのでしょうか。歴史を見渡せば英雄も偉人も大勢いますが、神の子キリストに並び立つ人は誰もおりません。「救い主はどこに」とあちこちと捜し回る必要はありません。どなたも聖書を通してこの尊いお方を知ることが出来るのです。この教会であなたの人生で一番尊いお方を発見され、そのお方にご自分の生涯をお任せなさいませんか。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と聖書に記されています。(使徒言行録 16:31)
イエス・キリストは万国、万民の救い主でいらっしゃいます。あるドイツの牧師はこう書いています。「そこに生まれた子は、神の永遠のみ子、イエス・キリストでありました。そこにおられたのは、救い主、そのようにしてこの世に来てくださった救い主でありました。 愛する教会員の皆さん、まさにこのことこそ、こう語るのであります。恐れることはない。あなたがどのような状態にあろうと、よく見るがよい、この厳しさ、冷たさに満ちた世に、政治的権力者の人口調査を命じる勅令に従いながら、税金と兵役に脅かされるこの世の中に、父なる神のみ子はお生まれになった。しかもそれは、あなたも私も、この世にあって孤独に捨てられたままではないということを意味するのであります。この世の中にあって孤独ではない! み子は来られました。私どもの傍らにおられます。すべてのことをご存じです。すべてのことをご自身も共に体験してくださいました。しばしばわらのなかに寒さに耐えて眠らなければならないのは、あなただけではありません。あの方、イエスは、最初から、小さな、弱い子どもとしてわらの床に休まれました。この世の冷たさ、厳しさ、卑しさのなかに身を置かれました。-あなたはひとりで捨てられているのではありません。イエスは、あなたのそばにおられます。」(R.ランダウ編、加藤常昭訳『光の降誕祭』128-129頁。エドゥアルト・トゥルンアイゼン クリスマス説教)