神の選びの中で
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。
そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実を結び、その実がいつ
までも残るためであり、またあなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなん
でも与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互いに愛し
合うためである。(ヨハネによる福音書15章16-17節)
皆様に予告しておりました協力牧師としての最後の説教が遂に今日やって来ました。13年間原田地区開拓伝道と教会形成に力を合わせて来た梅木光男兄が司会をして下さり、幸子姉が奏楽、聖歌隊が私と妻、啓子の愛唱賛美歌を歌って下さったことに感無量の感謝を覚えます。最後の説教の日が妻の誕生日と重なり、礼拝に出席を可能として下さった主に感謝します。またそのために祈り続けて下さった皆様に心から感謝を致します。礼拝後に私たちに花束と記念品を贈って下さるそうですが、その時に啓子が礼拝に出席できるのは今日が最後かもしれませんので、「Happy Birthday」の歌をプレゼントして、79歳になるまで生かされたことを祝ってやって下されば大変嬉しく思います。
さて今日のメッセ-ジのために、ヨハネによる福音書15章16-17節を選びました。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実を結び、その実がいつまでも残るためである」という主イエス様の言葉は、牧師だけではなく私たち一人ひとりに語られている言葉です。イエス様は「行って実を結び、その実がいつまでも残るために、あなたがたを立てた」と私たち全てに言っておられます。イエス・キリストの福音を語り、人々の魂を救いに、永遠の命に導くことは、私たちに託された使命です
私は18歳の時にイエス・キリストを信じる信仰に導かれ、神様から私に与えられている使命は何かを祈り求めた結果、伝道者として福音を宣べ伝えることが私の使命だと示され、神の招きに応えて生きた結果、七つの開拓伝道に関わることになりました。
1963年の春、兵庫県明石に開拓伝道に出かけ、6年後にアメリカに留学、帰国後神様の導きにより福岡市南区の長住教会、西区の野方教会、城南区の片江教会、福津市の福間教会、アメリカ・レキシントン市のイマヌエル・バプテスト教会の小チャペルを用いての日本人伝道礼拝、そして筑紫野南キリスト教会の誕生に関わりました。
何故、開拓伝道に情熱を燃やしたのかと言いますと、使徒パウロが「わたしが切に望んだことは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった」(ローマ人への手紙15章20節)と語った言葉に強い影響を受けたからです。パウロは「苦労して自分の手で働いている」とコリント教会の信徒に宛てた手紙で語り(第一の手紙4:12)、テサロニケの教会に宛てた手紙には「あなたがたの誰にも負担をかけまいと思って、日夜働きながら、あなたがたに福音を宣べ伝えた」(第一の手紙2:9)と書いています。
私は使徒パウロの自給伝道精神の感化を受けました。そして、筑紫野南キリスト伝道所での13年間に、私の夢が実現したのです。福音を無償で語り、提供することが出来、私の心には大きな喜びがありました。これは誰も私から奪うことが出来ない喜びです。
父なる神様は、自分の将来に希望を持てず、命を断とうとした罪深い私を選んで、福音伝道者として立てて用いて下さいました。新しい土地に出てゆき、教会を建て、魂の救いという実を結び、信仰の道を歩み続けた者が、愛と希望に生き、イエス・キリストから永遠の命を得るように導きなさいという神様の宣教命令に応えて51年間生かされました。救霊伝道のために選ばれ、神様にお仕えできたという喜びと感謝が私たち夫婦の心の中にあります。
神様に生涯を捧げて、ヨハネによる福音書15章17節で約束して下さっていること、即ち「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも与えて下さる」というイエス様の約束が私において成就した喜びも心に鳴り響いています。勿論、イエス・キリストの名において求めたものは、神様の御心に叶ったもののみ与えられたのですが、この事実は私には大きな祝福であり、感謝でした。大学受験に失敗し、一年浪人した時に肺結核を患い、真剣に祈った結果癒されて、神様が用意して下さった大学で4年間の学びを与えて下さいました。神学校に行く前に大学で学びたいという願いが聞かれたのです。神様によって備えられた女性と出会えるように4年間祈り、神学部に入学してその祈りが聞かれました。それが52年間私の良き助言者・助け人となった妻啓子です。
私は姉一人男兄弟7人の女気のない家庭に育ちましたので、長男の後に女の子が与えられるように祈り聞かれました。そして、二人の子供が成長して神様の福音を述べ伝える器となるように祈り、息子は牧師に、娘は牧師の妻になりました。授けられた孫たちが皆クリスチャンになるように祈り、5人全員が信仰告白をしバプテスマを受けました。
妻より先に死ぬことが出来ますように密かに祈ってきたのですが、まだ分かりませんが、その祈りは聞かれないようです。ある婦人は「剛毅先生にとって奥様は“啓子命”だから、先生が後に残されたら心配だ」と語られます。妻は「私が先に行ったなら、“青菜に塩”になりそうで心配だわ」と言います。青菜に塩をかけるとグターと萎びてしまうのです。でも、6ヶ月以上一人の生活をし、掃除洗濯、料理もこなし、「食べることは生きること」と語って、元気に生きてきました。実際に一人になると、どうなるのでしょうね。夫に先立たれたご婦人たちは、娘さんたちと同居し、或いは近くに住んでおられますが、やがて私も息子と一緒に住むために福岡を離れるのでしょうか?
イエス様の名で祈る祈りは聞かれるという話から脱線してしまいましたが。イエス様の言葉にはとても大切な言葉が続いているのです。「これらのことを命じるのは、あなたがたが互いに愛し合うためである」という言葉です。夫婦愛、親子愛、孫たちへの愛、
また親しい友人に対する愛、これらの愛は自分にとって価値のある存在への愛ですから、努力することなく実行出来たる愛です。キリスト教国アメリカに行って驚いたのは結婚したカップルの約半数が離婚してしまうという事実でした。神の前に生涯をかけて愛し合うことを約束したクリスチャンが、いとも簡単に離婚してしまうのです。 でも
私たち夫婦が今も感謝していることは、アメリカから日本に派遣された宣教師の先生たちと親しい関係を持てたことです。5年間の留学で英語が自由に話せるようになったことが交わりを深めた理由の一つでしょうが、先生方は深く愛し合うご夫婦でした。その殆どがお亡くなりになりましたが、天国での再会がとても楽しみなのです。
七つの教会と関わり、生涯親しい信仰の交わりが続くクリスチャンの友も多く与えられました。信仰の友は神様から与えられた宝です。大切にしていきたいと思います。
筑紫野南キリスト教会の信徒の方々との13年間の信仰の交わり、そして母教会の筑紫野二日市教会の先生方、信徒の方々との7年間の信仰の交わりは、私たち夫婦にとっては生涯忘れられない、大きな祝福であり、恵み思い出となりました。感謝しています
使徒パウロは地中海沿岸都市に伝道し、そこに生まれた諸教会に宛てた手紙を読むと、教会には色々な問題があったことを教えられます。ローマの教会には、頑なに悔い改めようとしない人、不品行に走る人、他人を裁く人、教会に分裂を起こす人、つまずきを与える人がいて、使徒パウロは彼らに警告を発しています。コリントの教会には妬みや争い、党派心があり、差別意識があり、パウロは「目は手に向かって、“おまえはいらない”とは言えず、また頭は足に向かって、“おまえはいらない”とも言えない」と語り、信徒一人一人は、キリストの体の大切な一部であり、互いにいたわり合うように造られており、「もし一つの肢体が悩めば、他の肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、他の肢体も共に喜ぶ。あなたがたはキリストの肢体である」(コリント第一12章26-27節)と述べ、何よりも大切なのはイエス・キリストにあって互いに愛し合うことだと教えます。互いにいたわり合う愛の教会を形成して行きなさいとパウロは語ります。
13章には有名な愛の賛歌が綴られます。「たとい強い信仰があっても、もし愛がなければ、私たちは無に等しい。全財産を人に施しても、愛がなければ無に等しい。愛は寛容であり、愛は情け深い。また妬むことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みを抱かない。不義を喜ばないで、真理を喜ぶ。そして、全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。…いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛である。このうちで最も大切なのは、愛である。」
この愛の教えは、私を長い間悩ませて来ました。パウロの語る愛が私には足りないからです。時々非寛容になり、妬むこともあり、高ぶり、自分の業績を誇り、いらだち、忍耐に欠けることがあったからです。イエス様はその全てを満たすことの出来る方ですが、私は満たすことが出来ません。
人間は皆、長所と弱点を持っています。私は信仰を持った後でも高慢の罪を取り除くことが出来ませんでした。正義感もあり時には厳しく人を裁き批判することがありました。私にバプテスマを授けて下さった牧師先生、神学部の先生たち、神学部の同輩・後輩の人たち、そして私が牧師として働いた教会の信徒の方々は、ある意味では高慢な私に苦しめられた被害者であったと言えるのです。私は悔い改めを続けてきました。この教会の方々の中で、もし私に苦しめられたと考える人がおられましたら、本日をもって協力牧師の務めを終えますので、この場で赦しを乞い、心からお詫びを致します。
父なる神様は私の傲慢を打ち砕くために、私に「肉体のとげ」を与えて下さり、「謙遜になれ、謙遜になれ」と諭し続けて下さいました。神様から与えられる砕きのげんこつをこの身と心に何度も受けました。
三月に入り、私は福岡女学院大学の客員教授として優れた講演を何度もなさった平川祐弘先生の名訳、河出書房新書、ダンテの『神曲』の地獄篇と煉獄篇を読むように導かれました。その中には信仰を持った後に罪を犯し続けて神様を侮り、十字架の血を汚したクリスチャンたちが地獄で苦しみ、煉獄では地上で犯した罪が火でやかれ清められる際の苦しみの様子が見事に描写されているのを読んで愕然としました。内村鑑三先生は地獄篇を読んで、恐ろしさに眠られぬ夜を過ごしたと書いておられます。煉獄の存在はカトリック教会で教えられていて、プロテスタントの教会では説かれてはいませんが、深く反省を促されるところがありました。自分の信仰の中にある、神様に対する甘えの構造を教えられたのです。また神を恐れることの重要さと神様を侮ってはいけないことを強く教えられました。平川祐弘先生の訳書にはダンテの地獄と煉獄を旅する際の優れた挿絵が見られますので、関心のある方に一読をお勧めします。
妻が癌を患い、主イエス様に近づいてゆき、信仰と魂の清さにあずかってゆく中で、日毎に夫のために祈ってくれる幸いを感じています。最近読んだ書物の中に、アメリカのベストセラー作家、ヘンリー・クラウド博士が著書『神のシークレット(秘密)』があります。その中で「罪責感を無くするために、地上に来られたイエス・キリストが創設された教会は、一体なぜ罪責感のデパートのようになってしまったのだろうか。なぜ、人々は神との関係には、自動的に罪責感が含まれると思ってしまうのだろうか。罪とは正反対の、赦しのためにキリストは来られたのに。」(阿部直子訳、地引網出版、2008年、253頁)と述べておられることにも同感しました。
自分には愛の行いが足りないと自覚している私は、イエス様が語った「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にした愛の行為は、即ちわたしにしたのである」という言葉(マタイ25:40)に敏感に反応して来ました。愛の足りなさに苦しみ、十字架のキリストを仰いで、行いはなくても、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ神の前に義とされ、救われる」という教えに安らぐのですが、ヤコブの手紙の「信仰も行いを伴わなければ、それだけでは、死んだも同然である。」(2章17節)という言葉にも反省を促されてきました。これからも皆様と一緒に信仰の旅路を続けて参ります。これからも
私たち夫婦を覚えてお祈りください。 お祈りします。
恵み深い主なる神様、筑紫野南キリスト教会で13年間、イエス・キリストの体である教会にお仕えし、主にある兄弟姉妹の愛と寛容と忍耐に支えられて、協力牧師の仕事を務め、終えることが出来ましたことを心から感謝致します。四月から牧師になられる岩橋先生を主の器として豊かに祝しお用い下さいますように。教会の役員、信徒の方々に、また求道者の方々に、そのご家族の上に、神様の恵みが注がれますように、イエス・キリストの御名によって祈ります。
(2014年3月30日、協力牧師としての斎藤剛毅の最後の説教)
(音声を聞きたい方はこちら)