【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年1月26日説教要旨
聖書箇所 マルコによる福音書 3章1~6節
招きの詞 創世記 32章23~31節
新しいイスラエル
西福岡のぞみ教会協力牧師 亀井 良雄
手の萎えた人が居て、安息日だけど、イエスはその人を癒されました。そこで律法に詳しいファリサイ派の人たちは出て行って、ヘロデ派の人たちと、何とかイエスを殺そうと相談し始めました。神の名を騙る神殿宗教者や律法学者たちは、イエスが神を冒涜していると告発します。イエスはこれと闘いました。その神の名を騙る連中の被害者の象徴が、ガリラヤの貧しい人々です。ガリラヤは本来、豊かな土地でしたが、ローマにより、領主ヘロデの搾取により、神殿宗教者や律法主義により、格差が生じ、貧しくされた人々がたくさん居たのです。イエスはその人々を見て、深く憐れみました。その言葉は、腸ハラワタが痛くなるという言葉です。(マルコ6:34)イエスは神の代理者を自負する加害者たちと闘いました。これが一つの神との闘いです。新しいイスラエルです。イスラエルとは、神と闘う人の事です。(創世記32:23以下)
もう一つの闘いが十字架上最後の場面で、「エロイ エロイ レマ サバクタニ」と叫んだ事です。世界中で戦争や自然災害や事故、事件が後を絶たず、被災者は、「神様、どうして私をお見捨てになったのですか」と絶望の只中、心の底で思わないでしょうか。私たちの絶望を、イエスご自身が担って下さって、神に問い、また神と闘われたと思います。十字架上の死は、終わりではないのです。神に問い、神と闘ったのは、十字架の死が終わりではないからです。十字架上のイエスの苦難の死は私たちの希望へとつながる出来事だったのです。
「苦難をも誇りとします。私たちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ローマ5:3~5)
主イエス・キリストの十字架は、私たちの希望の源なのです。アーメン