【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年5月25日説教要旨
聖書箇所 コロサイの信徒への手紙2章20節~3章11節
日々新たにされて
原田 寛
コロサイの教会は、律法によって歩むようにと勧める人たちに惑わされていましたが、パウロはキリストと共に死に(2章20節)、キリストと共に復活させられた(3章1節)のだから、この世に属しているような歩みでなく、上にあるものを求めなさいと記します。
上にある者というのは、復活されたイエス・キリストのことであり、神の御旨を全うされた御子に倣いなさいということです。御子に倣う私たちには、「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)ということが示されています。主イエスが示される愛を学び愛に生きることが大切です。パウロは、上にあるものと共に地上的なものを教えています。それは、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、貪欲であり、神の怒りを招くようなことです。コロサイの人たちも、かつては、その中にありました。「その古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新たな人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に到達しよう」と勧めます。
私たちにとって、脱ぎ捨てた「古き人」はどのようなものだったでしょうか。その事柄に苦しむことや悩むことがあったのではないでしょうか。御言葉のように脱ぎ捨てることにより、主イエス・キリストにより新しい思いが与えられていきます。
以前、東日本大震災が発災した時のある日の夕方、関東から親類を頼ろうとしてきたふたりの女性が訪ねてきました。その親類は糸島の高齢者施設にいてこれから会いにいきたいのだけど、時間がない。福岡にくるのがやっとで、ホテルに泊まるための余裕は何もないと、助けを求めてきました。その人たちの真実を確かめることは何もできませんでした。その時は、わたしは悩み嘆きました。「なぜ、何も知らないこの人たちを助けなきゃいけないのだろうか。そのまま、突き放しても良いのではないか」と。「しかし、真実は、神様がご存知だ」。そう自分に言い聞かせて、天神のビジネスホテルをとり、そして、持ち合わせているお金を支援して渡したと思います。助けられた人は、普通であれば、その後のことを報告してくるものですが、何もありません。自分のしたことは良くなかったかもしれないと振り返っています。
わたしは、このことで私自身を知ることができます。「助けの必要な人が、真に助けられますように」と祈る口先と自分さえ良ければという本心です。真の主なる神に、祈りの時間を持ちながらも信仰に立って委ね切れていない自分です。問題の根は「自分さえ良ければいい」という罪です。そのようなわたしに改めて「古い人を脱ぎ捨てよ」と御言葉は教えています。その教えに向き合う中、今まで守られ、支えられ、導かれてきました。自分は支援する者でなく、自分こそがいろいろな人たちに支えられ祈られていることに気付くのです。感謝です。