【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年12月19日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書2章1節~7節
暗闇に降りられたイエス様
福岡新生教会
竹田耶子武
今日の聖書箇所ルカ伝には神の一人子イエス様御誕生の次第について驚くべきことが記されています。神の御子イエス様が人となられ、乙女マリアよりお生まれになった時、布にくるんで飼い葉おけに寝かせられていたというのです。世界中で王の王、主の主として崇められている神の御子イエス様が、王宮ではなく、産婦人科病院でもなく、民家でもなく、なんと家畜小屋にお生まれになったのです。イエス様がお生まれになった当時、ローマ歴代皇帝の中でも、絶大な権力を有していたアウグストゥスがイスラエル地方、地中海地方を支配しておりました。人間の力が絶頂を迎えている正にその時に、神の御子イエス様は、ひっそりと誰にも気づかれない形で、寂しくお生まれになりました。
なぜでしょうか。王の王主の主であられる神の御子イエス様がなぜ、このような厳しい現実にお生まれになったのでしょうか。これには深い、深い意味があったのです。
家畜小屋。それは私達の心の現実を現しているのです。私達の痛み、悲しみ、苦しみ、辛さの極みを現しています。そして私達の罪の現実、呪いの現実を現しているのです。そのような、暗い現実の真っ只中に神の御子イエス様がお生まれになったのです。
この霊的事実が、外側の形として現れたのが、家畜小屋に生まれるという現実でした。
ルカ伝1章にこの様な言葉があります。
「1:78 これは我らの神の憐れみの心(断腸の思い)による。この憐れみ(なんとかして苦しんでいる人たちを救いたいと願う、燃えるような思い)によって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たち(罪の現実に起き伏している者たちを)を照らし、我らの歩みを平和の道に導くであろう。
これがクリスマスの意味、イエス様が来られた意味なのです。
イエス様の御目は暗闇に座して打ちひしがれ、苦しんで倒れている人達に注がれていました。マタイ伝8章を読みますとイエス様はレプラの人達の願いに対して、何とその人に触れて「清くなれ」と言われ、その病を癒して下さいました。触れてはいけなかったのです。病が移る可能性があったからです。しかしイエス様は触れて下さいました。断腸の愛がそのような行動にイエス様を突き動かしたのです。イエス様がその身に病を引き受けてくださったのです。十字架的行為だったのです。イエス様はこの時、暗闇の現実のど真ん中に降ってくださりひかり輝いてくださったのです。
旧約聖書イザヤ書53章に「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」 と記されています。またピリピ2:6 のキリスト讃歌にはこの様に記されています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(奴隷)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、否、人間以下の奴隷にへりくだって、死に至るまで、それも最後十字架の死に至るまで従順でした。」
その様なイエス様だからこそ私たちは信頼して、祈ることができるのです。私達の悲しみ痛みの全てをイエス様だけは、極みまでわかってくださり、苦しみの中でこそ、恐れるな。生きよと語りかけてくださるのです。