2018年2月4日説教要旨
聖書箇所:マタイによる福音書7章13節~14節
狭い門から入れ!
梅木 光男
今回の聖書の箇所はキリスト教に疎い人でも知っている有名な「格言」ともいえる御言葉です。また入試や就職といった時期ともなるとしばしば新聞等で取り上げられる「狭い門」について考察してみました。この箇所は主イエスが山上の垂訓(説教)といわれるさまざまな教えやたとえ話を弟子たちや群衆に示されている所で、その最後の締めくくりとして登場しています。単純でわかり易い言葉で人生の歩みについて語られていますが、逆説的に語られているため、判ったようで判りにくい難解な御言葉です。
この問題に真正面から取り組んだ小説家アンドレ・ジットは「狭き門」という小説で、若い男女が互いに恋心を抱くなかで女性の主人公アリサが地上の幸福よりも困難であっても大衆に迎合せず神の義と救いに至る生活を求めるという自己犠牲の精神が美しく描かれた作品を発表してベストセラーとなっています。
人はこの世を生きるためにはいろいろな決断をしなければなりません。決断の連続といっても過言ではありません。決断するとはいつも恐れと不安が伴います。これで本当に正しいのかと。ともすれば我々は大衆に迎合しがちです。それは周囲の人と同じようにすれば安心するし非難されることも少ないからです。
しかし、主イエスは「狭い門からはいれ。命に至る門は狭く、見出す者が少ない」と宣言されています。この言葉はヨハネによる福音書14章6節で語られている「道、真理、命」を連想します。これは我々を招く言葉であり、悔い改めに導く招きです。主イエスの十字架による贖い(あがない)と復活という事実に根ざした神の国、つまり永遠のいのちを得るために、主の御言葉とみ声に聞き従って歩むように主イエスはやさしくささやいておられます。
主イエスの栄光を表す「狭い門」を通り主の歩まれた道を希望と喜びをもって進みましょう。 神との交わりの信仰生活のなかで我々は永遠の命へと導かれるのです。