【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年6月25日説教要約
聖書箇所 マルコによる福音書9章2~13節
生きていることが、語る言葉
宗広 一美
“彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることは出来ないくらいになった”とは、イエス様がキリスト、つまりは救い主であることを象徴しているのが、このイエス様の変貌の意味するところありましょう。
またここで言われていますエリヤは、旧約聖書の中では、預言者の代表と言ってもよい存在です。またモーセは神様から十戒を授かった律法の代表でありましょう。しかし彼らはメシアではありませんでした。それに対してイエス様は、救い主であることを示していました。
イエス様は、こう言われています。“・・この聖書は、わたしについて証をするものである。”(ヨハネ5:39)と。すなわちエリヤとモーセは、救い主イエス様を証しているのでした。
次の箇所では、この世のものではない光り輝くイエス様たちの臨在に耐えがたい恐れの念を抱いている弟子たちが示されています。聖書の語りますこの光は、人にとって太陽の光のように、直視できないものでした。あのイエス様の迫害者だったパウロは、まさにイエス様の光に打たれて目が見えなくなりました。
さらに次の箇所は、出エジプト記40章34節では“・・雲は会見の天幕を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。”とあります。そしてその雲の中の声「これは、私の愛する子、これに聞け」とは、イエス様が父なる神様から遣わされた救い主(キリスト)であることを示しています。
それから弟子たちは、信じられないような今見聞きしたことから現実世界に戻されます。そこに普通の人の姿であるイエス様がおられました。このイエス様がおられるということこそが、今まで見せられたことの真実を証しするものになっています。
さらにここでの弟子たちの最大の問いは、なぜ救い主(キリスト)が殺されるのか?そしてその殺された救い主(キリスト)がよみがえられるとは、一体どういうことかでした。ここには、人間である弟子たちの思い描いている救い主(キリスト)とイエス様の示される救い主(キリスト)とには、大きなギャップがありました。そして彼らが本当の意味で従い得るようになったのは、イエス様の十字架復活のあとのことでした。