2017年8月20日説教要旨
聖書箇所:マタイによる福音書25章1-13節
下川俊也
「用意しとう?」
「十人のおとめ」たとえは、花婿をちゃんとお迎えすることができたおとめたちと、お迎えすることができなかったおとめたちが出てまいります。興味深いのは、そのどちら側のおとめたちも、花婿の到着が遅れたので「みな居眠りをしてしまった」ということです。賢いと言われたおとめたちも緊張感や頑張りだけでは身がもたなくなって遂には眠り込んでしまったというのは、どこか私たちをほっとさせてくれるようですけれども。まあそうしてみな寝入ってしまったわけです。
けれども、花婿が突然真夜中に到着すると「賢いおとめは皆起きて、それぞれのともし火を整え」、花婿を出迎えて一緒に婚宴の席に入り、祝宴にあずかります。一方、慌てふためき右往左往してしまった愚かなおとめたちは、なんとも残念なことに、その喜びの祝宴にあずかることができないというのです。
この違いは一体何でしょうか? 唯一つ、ともし火を灯し続けるための「油」を十分に壺に入れて持っていたか、十分に油を常備してなかったか。その違いです。
すべての条件は同じで用意しようとすればできた。それをしたか、しないか。そこに両者のおとめたちの決定的な違いがあったのです。