【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年6月14日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書 7章36節~50節
神の赦し
梅木 光男
ルカ福音書は女性の福音書と言われるほど多くの女性にスポットライトを当て、その生き方や信仰を描いています。本日の聖書箇所ルカ福音書7章でも、主イエスとパリサイ人シモンそして罪深い女のエピソードがたとえ話に挿入されて、我々に罪の大きさを自覚させ悔い改めを求めるとともに神の恵みに思いを至らせる箇所です。
パリサイ人とはユダヤ教の一派で分離主義者という意味です。律法の厳格な実践に熱中した彼らに対して反対者がつけたニックネームと言われています。今日の箇所はパリサイ人シモンが主イエスを食事に招くというところから始まっています。なぜ主イエスを食事に招いたかは、聖書は何も示してはいません。シモンが主イエスの奇跡や言動などを噂で知り、それを自分の目で確かめたい、或いはイエスを預言者と考え何らかの期待感があったかもしれません。ところがその食卓に罪深い女が紛れ込んでいたのです。当時のユダヤ人は食卓では左ひじで上体を支え、体を横にして足を斜め後方に投げ出すスタイルです。その女は主イエスの足元に近寄り、主イエスの足を涙で濡らしてそれを自分の髪で拭い接吻して香油を塗ったのです。これを見たシモンは眉を顰め心のなかで主イエスを非難するのです。イエスはシモンに短いたとえ話を持ち出します。話は極めて単純で、50デナリと500デナリの借金を帳消しにすることでどちらがその金貸しをより愛するかという質問です。当然シモンは正解を述べます。主イエスはパリサイ人シモンと罪深い女の主イエスに対する対照的な接遇方法や愛の深さ、またそれぞれの罪に対する認識の違いについて事細かに指摘されるのです。シモンはこのたとえ話を自分自身の問題とは理解せず、むしろ自分と一体どんな関係があるのかと戸惑うばかりだったのです。
これに対し罪深い女は自分の罪を神様からの一方的な恵みによって赦され、さらに「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」という慰めと励ましの言葉が与えられたのです。赦しは神様の愛の業であり、その一方的なめぐみを受けて我々一人一人が自らの置かれた状況の中で、どう神を信じ愛するかが問われています。