【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年5月14日説教要旨
聖書箇所 ヨハネ福音書10章11~16節
私は良い羊飼い
諸岡 寛
今朝は羊が書かれた聖書の箇所を選びました。羊は信徒、そして羊飼いはイエス様であることが語られています。
ヨハネ福音書10章14節「わたしは良い羊飼いであって、」15節「わたしは羊のために命を捨てるのである。」の箇所ですが、イエス様が「羊のために命を捨てる」良い羊飼いであることが、鮮明に語られます。10章:7節に戻ると「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た人は、みな盗人であり、強盗である。」9節「わたしは門である。わたしをとおって入る者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。」さらに14章6節では、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」と断言されます。聖書においてわれわれに証しされているイエス様は、われわれが聞くべき、またわれわれが生と死において信頼し服従すべき神の唯一のみ言葉であるのです。
ドイツにはローズンゲンという日毎の聖句集があります。これは旧約と新約のみ言葉から組み合わせられ、神の言葉としてこれらの日毎の聖句が、何と日々の生活の困難や問題に対してピッタリ来る、という驚くべき経験が知られています。先ほど交読文で、詩篇23篇1節「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」を読みましたが、これが新約ではヨハネ10章14節「わたしは良い羊飼いであって、」の聖句とセットで示されるのです。ローズンゲンを通し、この聖書の箇所ではイエス様の苦難の結びつきから、何と希望の約束を見いだすことが出来るのです。神の言葉を聞き取った者は勇気づけられ、慰められ、警告されているのを発見するのです。
ヨハネ福音書10章1節からは、「羊の囲い」が語れます。羊を飼うには、日中放牧し、夕方になると羊を囲いに入れます。夜に狼などから羊を守るためであり、羊は囲いに入れば安全であることから、羊の囲いとは、神の守り、救いに与ることの譬えです。3節には「門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。」とあります。
私たちとイエス様との関係は、まさに羊飼いが自分の羊の名を呼び、羊は羊飼いの声を聞き分けると語られる現実を現しています。十字架に栄光の時を与えられている羊飼いによって、羊としての私たちは守られ養われるのです。9節からは「羊の門」が語られます。「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう」と。まずご自身を「羊の囲いの門」に譬えておられます。11節では「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」とあります。ここではイエス様の十字架が示されます。社会の底辺で生きる弱者と関わり、捨て身で小さな存在と寄り添った「良い羊飼いであるイエス様のことが語られます。