【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年3月15日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書20章19~23節
罪の赦しと聖霊
原田 寛
わたしは、アメリカとイスラエルによるイラン攻撃によって世界の構図に変更が加えられてきているのではと思います。それには、見えている部分と見えない部分があって激しく動いていると思います。一般庶民の私たちには、何がどう動いていくのか、よくわかりません。
わたしたちは、世の終わりが来ると信じています。世の終わりは、真の神の専権事項です。世の終わりは、今の世のすべてを無くし新しい世が来るという信仰です。旧約聖書では、神は、人の罪ゆえに人を創造したことを悔やんで世を滅ぼします。聖書は、神が世に手をくだしたこととして、ノアの洪水とソドムとゴモラの事柄が記されています。そこには、人の力は何一つ関与していません。世の終わりは、同様に人の手を必要とせず、神の手によって行われます。
問題は、罪なのです。罪は的外れという意味です。ヨナが、神に「ニネベへ行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしに届いている」と。しかし、ヨナは、ニネベに向かわず海路タルシシュに向かう船に乗り込みます。舟は目的地に着く前に海が荒れ、目的地に近づくことができません。そして、船長は誰のせいでこのようなことになったのか、くじをひくことにしました。くじに当たったのはヨナでした。ヨナは、自分を縛り海に投げ込めば静まると言います。そして、そのようにしたところ、海は静まるのでした。ヨナは、海の中で大魚にのまれ、その腹の中で罪を悔います。そして、その祈りによって日の目をみることができ、神のご命令に沿って歩むことができたのでした。ヨナの話にあるように、主のご命令に背くことが罪なのです。
主イエスは、復活後のある日曜日に、弟子たちに現れて言われました。「聖霊を受けよ。だれの罪でも、あなたがたの赦す罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、そのまま残る」罪を赦す権威が授かられたように思います。聖霊は、主を信じる人に「イエスは主である」と告白させます。私たちは、自分の罪が赦され主イエスをかけがえのない方として受け入れています。つまり、聖霊は、わたしたちにイエスは主であると言わせるほどに、主と結びつかせるのです。主イエスによって神の深い愛に触れさせて、なおも導いてくださるのです。
わたしは、世の終わりが近づいていると言いました。世の終わりは、人によってもたらされるものではありません。それは、徹底的に神の専権事項です。神は、罪を赦すことができるように、人の事柄に向き合っていきなさいと言われています。愛すべき人、赦されるべき人が、私たちのまわりにたくさんいるのです。「聖霊を受けなさい。」は、赦そうとするわたしたちと主は共におられるという事です。私たちは、みこころを行っていきましょう。主は共におられます。
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