【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年7月16日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書 9章1~8節
罪をゆるす
片山 寛
「罪をゆるす」とはどういうことなのでしょうか。そもそも「罪」とは何でしょうか。自分の行為に呵責や悔いを少しも感じない人間に、「罪」は存在するのでしょうか。
以下でご紹介するのは、映画『幸せの黄色いハンカチ』(主演・高倉健、監督・山田洋次1977年)の原作となった、ピート・ハミル1935-2020の短編小説Going Homeの一節です。
ニューヨークからフロリダ州の保養地フォート・ローダーデールに向う長距離バスの中で、6人(男3人、女3人)の若者が、ヴィンゴという名前の中年男性と知り合います。最初ヴィンゴは心を閉ざしていましたが、やがて心が通じたのか、身の上を話しはじめます。彼は4年間も服役していたのですが、今は保釈されて妻子の住む町に帰る途中だったのです。
「実は先週、保釈が確実になったとき、久しぶりに女房に手紙を書いたんだ。おまえが別の男と暮らしてるんなら、おれは邪魔しない、と言ってやった。でも、もしそうじゃなくて、おれを迎え入れてくれる気があるなら、教えてくれ、ってね。おれたちはジャクスンヴィルのすぐ手前の、ブランズウィックって町に住んでたんだ。その町の入り口には、でかいオークの木がある。とてつもなくでかいんで、有名な木なのさ。おれはこう書いてやった――もしおれを迎え入れてくれるなら、その木の枝に黄色いハンカチを一枚結びつけといてくれ、そうしたらおれは、そこでバスを降りて家に帰るから、って。でも、もしおれに会いたくないんだったら、なにもしなくてけっこう、ハンカチも結ばなくていい、そうしたらおれはそのままバスに乗って町を走り抜けるから、ってね」
「まあ」若い娘は言った。「おどろいた」
……バスは、ブランズウィックまであと二十マイルに迫った。若者たちはいっせいに右の窓際に移って、オークの大木が近づくのを待ちかまえた。ヴィンゴは、もはや窓の外を見ようとはしなかった。その顔は、さらなる失望に備えようとするかのように緊張し、前科者の不安そうな仮面に変わった。あと十マイル、五マイル。バスの中には重苦しい気分がみなぎった。わだかまった沈黙にこもっているのは、長い不在の日々であり、失われた歳月であり、妻の地味な顔であり、朝食のテーブルに突然置かれた手紙であり、子供たちの驚きであり、鉄の棒に囲まれた孤独だった。次の瞬間、若者たちが全員、弾かれたように立ちあがった。彼らはてんでに叫び、大声を発し、悲鳴をあげ、小躍りしながら、やったぞと言わんばかりに拳をふりまわした。が、一人、ヴィンゴだけは、その騒ぎからとり残されていた。
彼は呆然とオークの木をながめていた。大木は黄色いハンカチで文字通り蔽われていた。その数、二十枚、三十枚、いや、数百枚はあっただろう。さながら歓迎の旗ざおのように立っているオークの枝では、無数の黄色いハンカチが風にはためき、通りすぎるバスの窓から見ると、それは一瞬、黄色に燃えたつ陽炎のように映った。年老いた前科者は、若者たちの歓呼につつまれてゆっくりと立ちあがり、身を引きしめて前部の乗降口に歩みよった。彼は家路についたのだ。
ピート・ハミル『ニューヨーク・スケッチブック』
(高見浩訳)河出文庫2009年)