【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2019年7月21日説教要旨
聖書箇所 創世記1章1~5節、31節
聖書巻頭のことば
瀬戸 毅義
聖書66巻冒頭の書物は創世記です。創世記巻頭の言葉は「はじめに神は天と地とを創造された」です。文語訳聖書で「元始(はじめに)に神天地を創造(つくり)たまえり」。荘重厳粛なことばです。今日までどれだけ多くの人々がこの聖書のことばに励まされたことでしょうか。聖書全体の冒頭でもある創世記1章は、研究によれば2章、3章よりもおよそ3百年後に書かれたそうです。創世記1章が記されたころ、イスラエルはすでに国を失っていました。国の指導者たちは征服者のバビロンに捕らえ移されていました。そのバビロンの地で祭司団によりこの箇所は出来上がりました(紀元前500年頃)。彼らは残酷な征服者の国に移されている、はなはだ悪い状況でしたが、希望に溢れています。
1章全体を読んでごらんなさい。第1日に光。第2日に空と水。第3日に地と植物。第4日に天体。第5日に魚と鳥。第6日に地上動物と人。第7日に安息日。宇宙と世界には調和があります。神は唯一であり超越しています。周囲の世界は(エジプトでもバビロンでも)月や太陽、動物、人間などが神々として礼拝されていました。そこは神々が相互に争い戦う世界でした。創世記では、唯一神の超越がありました。世界と宇宙には統一がありました。月や星は真の神に造られた被造物にしかすぎません。これは当時としては革命的なことでした。21世紀の今なお、この日本でもこのような明確な神観を果たして幾人の人が持っているでしょうか。今年の5月に礼拝で青年時代に札幌でまことの神様との出会いを経験した青年の話をしました(2019年5月4日)(『余は如何にしてキリスト信徒となりしか』内村鑑三著 鈴木範久訳、岩波文庫)
この宇宙も私達人間も偶然にできたのではありません。本当の神様の深いお考えで創造されたのです。もし私達の周囲に辛いこと、悲しいこと、理解し難いことがあっても…聖書の時代も今も変わりませんね…たくさんあります。それにもかかわらず「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」のです(1章31節)。これが創世記記者((1章-2章4節aまでP典)の確信でした。
創世記の聖句が意味深いものとなります。クリスチャンは自分の人生を意味あるものとし、いつでも前を見て希望を持つのです。パウロの言葉を思い出します。二つともわたくしの大好きな聖書のことばです。
聖書のことば
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。(ローマ 5章3-4節 新共同訳)
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリント第一 10章13節 新共同訳)