【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年3月14日説教要旨
マタイによる福音書第16章13節〜24節
自分の十字架を背負って:コロナ危機の中で
西南学院大学神学部
才藤 千津子
現在、キリスト教の暦では、イエス・キリストの死に至るまでの受難について思い起こし、共に復活に預かるように祈る四旬節(レント)の期間です。今年、私たちは、昨年のまさにこの時期からコロナ危機を経験し、この一年間、次から次に起こってくる予想もしない事態に、不安と恐れに苛まれながら日々を過ごしてきました。その中で私たちは、これまでの常識が通用しない、それまでのやり方が通用しない、状況をコントロールできない、先が見えない、という様々な困難と直面してきたのです。
イエスは、神に信頼し、徹底的に愛に生きることを人々に教えました。イエスの周りにはいつも、当時差別の対象であった病気や貧困に苦しんでいた人々、徴税人として人々から嫌われていた人、娼婦だと非難されていた人がいました。イエスの大胆で挑戦的な生き方は、当時の一般的な常識とは大きく異なるものであり、「非常識」とも思われるものでした。しかし、イエスは、神は徹底的に私たちを愛してくださっている、赦して受け入れてくださっていると説き、それゆえに私たちも隣人を愛しなさいと教え、自らそれを実行されました。そしてイエスが徹底した愛に生きる時、イエスの時代の人々が「常識」だと思っていること、例えば律法を形通りに守ることからは離れることになり、結果としてユダヤ教の指導者たちから迫害されることになったのでした。その生涯の最後、イエスは、当時は弱さと呪いの象徴であった十字架を背負うことになりました。
今私たちはコロナ危機の中を生きていますが、その中で私たちは、これまでの自分たちの「常識」が通用しない、「価値観」が通用しないという中で、価値感の見直しを迫られています。また、先日3月11日には2011年の東日本大震災から10年目を迎えましたが、その時に未曾有の危機を経験された宗教者たちの中にも、「いのち」にとってもっとも大切なものは何かという課題と直面してそれまでの宣教の方法を大きく変えていった方たちがいました。今、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタイ16:24)と言われたイエスの言葉を思い起こし、イエスに従って行く生き方とはどういうものかを改めて考えたいと思います。