証「名古屋の長男の結婚式」
2023年6月15日
諸岡 寛
主の御名を賛美します。先週6/10(土)に、長男が名古屋教会で神さまの祝福のうちに結婚式を挙げることが出来ました。前日飛行機で名古屋に向かったのですが、気になる天候も晴れで、ANAのフライトは定刻通り、イヤホンを付けるとメンデルスゾーンの結婚行進曲が流れ、出発早々神さまがこの日を整えて祝福してくださっていると感激しました。息子が彼女を連れて来たのは、2年前の11月、未だコロナ禍の真最中でした。息子には申し分無いお相手で、しかもクリスチャンで、この方ならと安心し、 「息子を宜しく」 とお伝えしました。すぐに息子は彼女を名古屋教会に連れていき、先生達も祝福してくださいました。昨年5月には婚姻届を提出し一緒に生活していますが、ようやくこの度挙式となり、親としては嬉しい限りです。たまたま私たち夫婦も40年のルビー婚だったので、喜びが重なりました。幸いな時も悩める時も、豊かな時も貧しい時も、健やかな時も病む時も、互いに愛し助け合って、善き夫婦生活を送って欲しいと願うばかりです。「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3:11)「あなたはその愛する妻と共に楽しく暮らすがよい。」(同9:9)と深く感じ入りました。教会での結婚式は神さまからの祝福以外の何物でもありません。思えば息子は小学校6年の時に、決心の時が与えられ、筑紫野二日市教会で当時の岡先生からバプテスマを受けました。今でもその光景が瞼に浮かびます。ここまで成長させてくださり、結婚までに至らせて下さったのは神様の恵みです。感謝します。
筑紫野二日市教会から私たち家族は転勤で広島県の福山に移り、そこは何と7年も滞在しました。福山教会は当初無牧でしたが、その後アメリカから来られた田中亘先生のもとに教会生活を送りました。もう故人ですが、実に個性的な先生でした。牧師の息子でありながら、会社を作っては倒産を繰返し、アメリカに渡りNASAのルポライターをされた方です。60歳でサウスウエスタン・バプテスト神学校で学ばれたのでした。私が定年後も神学校に行って牧師になれると思ったのは、田中先生の影響です。それから転勤で金沢となり、金沢教会でも教会の皆さまにお世話になりました。そして沖縄では那覇新都心教会から歩いて5分のところに社宅が与えられ、沢山の方々の出会いもあり、テナー歌手の新垣さんの育ての親の城間先生が、当時九州バプテスト神学校の校長だった安藤先生を連れて来られ、「定年後は牧師の道を歩みなさい。」と入学を勧めてくださいました。そして次の転勤先は安藤先生開拓の和歌山行きとなったのです。その後息子の勤務地の名古屋に、親まで引寄せられ、平針教会に通うことになりました。その他にも転勤等でいくつかの教会に通いましたが、神様はそれぞれの教会での様々な方との出会いを通して信仰を育てて下さり、振り返ると、私も定年後に夜間の神学校と昼間の神学部と両方卒業しました。しかし伝道師2年、牧師2年と未だ道半ばです。イエス様の召命はずっと変わる事はありません。そして私はその道を歩んで行きたいと望みます。厳しい状況下とは言え、早い牧師復帰を願っております。皆さまのお祈りに支えられて、主に導かれたいと願います。