【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年3月13日説教要旨
詩篇23篇1節~6節
賛美
山田 光道
世界の状況も私たちの身近な所においても厳しい流れがあります。教会に於いては、礼拝の中での賛美を取りやめたところもあると聞いています。大声で賛美するのも慎まなければならないようなことにもなり、改めて賛美とは何であるかが今日ほど強く考えなければならないことはないように思います。そして、同時に状況は異なっても歴史においては賛美を口にすることもできなかった時代を思い起こすものです。このような具体的な対応をとらねばならなくなった時こそ、その精神と原理が明確になったり、それが賛美そのものを支え、ひいては私たちの信仰を見直したり、確信するときはないような気もしています。
今朝の説教に於いては、賛美の旧約・新約聖書の歴史やその原理を皆さんと一緒にふり返えるとともに、礼拝の中での賛美に位置づけを考えたいと思います。
ここしばらく礼拝について考えてまいりましたが、礼拝の行為はキリストの十字架と復活の信仰によつて救われた者の喜びを私たちのすべてをささげての感謝の表現であり、讃美歌を一緒に歌うことによって、共に神様を賛美しているのだということを共有しているのです。そして私たちが賛美をするのですが、賛美を「ささげる」という言い方からもわかるように、この賛美をささげる対象は神であり、私達個人を越えて、時を越えて油注がれた方の一番最初の十字架の贖いに立ち戻り、その苦難と復活の喜びにあずかっていくものなのです。そしてあずかるとは、文字通り私たち自身がそのような生き方をすることであります。賛美をなすということは、そのことの永遠の象徴であり、私たちの生活、人生の喜びと苦難と感謝を具体的に口に出して表現する行為なのです。時には言葉では表現できない形をとって、魂の祈りとでもいうようなものを通して。
以上に立って、上記の詩篇歌より具体的な賛美の在り方、内容を受け止めたいと願っています。