【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2021年6月13日説教要旨
赦しの恵みに生きる
竹田 浩
「あなたがたの一人一人が心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じように為さるであろう」
(マタイ18:35)
1、私達の信仰生活において、赦すと言うことはとても大事な事です。ですから、主の祈りに於いても、「わたしたちの負いめを赦して下さい。わたしたちも自分に負いめのある人を赦しました様に」と祈る様にと勧められています。そして、主の祈りの後には、赦しの精神をもって主の祈りを祈る様に勧められています。また、マルコによる福音書に、山を動かす信仰の祈りが教えられていますが、そこでも、赦しの心をもって祈る事が進められています(マルコ11:25)。私達の信仰生活において、何時も十字架のイエス様を見上げながら、心から赦しの恵みを感謝しつつ、生きることが如何に大事かと言う事がわかります。
2、それでは如何にして、私達は赦しの恵みに生きる事が出来るでしょうか。有名な「7度を70倍するまで赦しなさい」とのイエス様の教えにおいて、6千憶円も赦されながら、100万円を赦さなかった僕の話が出て来ます。即ち、私達の信仰生活において主から赦されていると言う大きな恵みの中に生かされていながら、その恵みを自分の生活の中で生かせていないと言う現実があります。即ち、十字架の恵みと私の実際生活との間に距離があって、本当にその赦しの恵みを生き得ていないと言う問題が存在するのです。ここに、私達の信仰生活における戦いが生じます。
3、いかにして主の十字架の恵みを実際生活に生かすことが出来るでしょうか。パウロは神が「キリストによって、あなたがたを赦してくださった様に、あなたがたも赦し合いなさい」(エペソ書4:32)と教えています。その赦しの愛は、「私達に与えられた聖霊によって私達の心に注がれていると(ローマ書5:6)」記されています。聖霊に満たされると十字架のイエス様の恵みが私達の心に流れ込んできます。そうすると、おのずと隣人を十字架の愛をもって赦す事が出来る様になります。ですから、私達は何時も祈り深く聖霊に満たされて、生活する必要があります。