【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年2月23日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書6章5節~15節
赦しの痛み
梅木 光男
聖書は祈りに満ちキリスト教は祈りの宗教です。祈りは神様との交わり、対話であり、これを通して神を知り神の被造物としての自分自身を知ることになります。
本日の箇所で主イエスは祈りについて、その目的、方法、内容、態度等について我々が模範とすべき祈りの例を示されています。
それは「神が私の父である、必要なものはすべてご存じでそれ故確信と信頼をもって御心にかなう祈り」をするよう提唱されています。これはいわゆる山上の垂訓と言われている色々な教えにより弟子たちを祈りに導くために示されたものです。
この祈りは3つの部分から構成されており、①神への呼びかけ②神についての3つの祈り③我々人間にとって必要な3つの祈りが語られています。
具体的には礼拝の中でも唱和したいわゆる「主の祈り」で本質的な項目がきちんと列挙されていますので、後でよく吟味して頂ければ幸いです。
ともすれば我々は祈る場合しばしば他人の視線を意識してしまうことがあります。主イエスはそのことをよくご存じで、会堂や町の大通りの角などで立って手を挙げる祈りを避け、むしろ神と自分だけの世界(場所)で、他人に介入されない祈りの姿が求められています。
我々が聖霊の働きによる信仰をもって祈るとき、神の愛するみ子イエスキリストの十字架による赦しの痛みがやっと実感することができるのではないでしょうか。それにより神の大きな愛の深さ、広さ、恵みによってこの主の祈りの意味が理解でき、神のみ旨にかなう祈りが成就できるのです。