【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年10月18日説教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙一1章18~25節
神の力、知恵たるキリスト
原田 寛
私たちはよくコンプライアンスということばを耳にする。意味は、「命令や要求に従う」ということだ。この言葉は、会社や行政で、だれの指示によって働いているか、指示した者も指示を受けた者もその責任を持っているということだ。そして、社会は、「法律」によって支えられ、様々な仕組みを整えてきている。「法の下に平等」という言葉があるが、法律は、人々を等しく見ているということだ。私たちの現実は、法律で支えられている。多くの人は、法を犯すことが「罪」であると理解し、法を犯さずに過ごしてきている。
神は法律を超えた存在であるが、聖書は、信徒たちに、「上に立つものに従うように」と示している。法律で神の存在が保証されているということではないが、日本では憲法の定める基本的人権のもとで信教の自由が認められ、人は神を信じることがよしとされている。宗教法人は、日本では文科省のもとで管理され、教会が、宗教法人となるためには、その法律の下で手続きを行う必要がある。
人は法律を作り、そして人はその法律を運用する。人は、法律の下で、認める側と認められる側を作る。そして、法律は認める人をいつも同じ人に託すことはない。配置換えや転職、定年などで交代する。私には、このような一般的な仕組みの中に、人が神を知る道或いは神に出会う道はないように思われる。
キリストは、ユダヤ教の律法とローマ帝国の法の下で裁かれ、十字架につけられ殺された。それが史実であり、神を信じる者も信じない者も知るところである。神は、人に神を知ることを求めておられる。人は、神を知る機会に恵まれている。しかし、人は、今、自分がどうしてここにいるのか、今、何をしているのか、理解していないことが多い。神はこの人の無理解に対する答えを持つのである。聖書は、この神を知らないことは「罪」だという。人は、神を知らずにキリストを十字架につけて殺したのだ。聖書は、このキリストの十字架の死は神の御心であると示す。キリストの死は、神を知るようになる神の知恵であり、神を知らなかったという罪を赦す神の力であるのだ。神は、人にここまでして神を知るよう求めているのだ。神を知る道を共に歩もう。キリストに表されている神のコンプライアンスを覚えよう。礼拝は、神を知る恵みに応えて行っている。
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