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2026年10月4日説教要旨
聖書箇所 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 4章13~18節
主は来られる
原田 寛
キリスト教は、聖書からイエス・キリストが再臨されると学び信じている。そして、キリストの再臨の前に、大きな艱難があるということを教えられている。
テサロニケの第一の手紙は、新約聖書の中で一番先に記された文書と言われている。著者は使徒パウロ。そのパウロが、「主のことばに基づいて…」と記す。主というのは、主イエス・キリストご自身であり、そして、再臨のことについて主イエスご自身が教えられたことを意味している。
合図の号令、天使の声、神のラッパ、それらはだれも聞いたことはない。それらは、地鳴りのような、雷のような、異様な音だとも聞く。しかし、聖書に記される御言葉は、その言葉を信じる者たちに間違いなく届くのだろう。そして、主ご自身が天から降ってくる。
…キリストに結ばれて死んだ者たちが復活し…とある。葬儀の際には、召された人たちのことを「すでに主のふところに抱かれて憩っている」と祈るが、それは、死んで目を閉じるが次に目を開くときは、主が示された神の国の憩いの場にあるという意味であり、そして、そこはこの世を支配するすべてのものが何一つ通用しない、神の世界であり「神の国」なのである。
再臨の主と出会うことと神の国に入ることは同時なのか…神の国に引き上げられた人たちはどのような場にいるのだろうか。主はその人たちのことをすべてご存知なのだろうかと不思議に思うが、この世のものはいっさい関係ないだろう。すべては、神の成さることだ。
すべての人が共にいると書いてあることが実現するのだ。しかし、引き上げられた人たちは、培ってきたことや知識・経験、金や財宝など、この世のものは、主イエスの元では何一つ必要がない。
パウロは手紙の巻末の祝祷で「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。」と祈っている。つまり、この世にあっては、神の御言葉に聴いていくことが求められているし、御言葉に沿うことで聖なる者となるのだ。
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