2026.9.20 梅木幸子
私は大学4年生の時バプテスマを受けました。神様がおられるという確信は持てなかったけれど、聖書に証言されている神様は本物だろうと思い、この神様に自分の人生をかけてみようと決心したのです。それから50年経ちました。今振り返ってみるとその選択は間違っていなかったと確信を持って言えます。バプテスマを受けてすぐの交換留学生としてのアメリカでの10か月の生活は、誰も知らない異郷の地で神様に頼って生活することの実地訓練でした。その後の西南神学部での一年の生活は、自分の人生を神様に用いていただくために生きるという決心を補強することと聖書を学ぶ基礎を頂いたように思います。
思いもかけず同じ教会に通う夫と結婚しました。それも神様のご計画だったのだろうと思います。夫の2年ごとの転勤で全国各地に行きましたが、毎回それぞれの地域の教会転入会して家族で通い、家では家庭集会を開催することが出来ました。夫の母の実家が二日市だった関係で原田に家を建てることになり、今から33年前の1993年4月に熊本から引っ越してきました。家の建築の際の鍬入れ式は、東京の大久保教会で縁があった北原末男牧師にして頂きました。それで北原先生が牧師をされていた筑紫野二日市教会に転籍しました。しかし夫は引っ越しと同時に東京に単身赴任となりました。その年の12月筑紫野二日市教会の会堂が建ち、翌年1994年の2月に北原牧師夫妻は筑紫野二日市教会を辞任して去られることになりました。その直前に私に教会学校の子供のクラスの責任者になってくれないかと打診がありました。その当時夫は東京に単身赴任中で、中学生の長男は熊本の学校の寮に住み、原田の家では3歳、9歳、12歳の子供たちと私だけの生活で子供たちは全員教会学校幼小科のメンバーでした。子供3人ともお世話になっているので、その仕事を引き受けないわけにはいかないなあと思いお引き受けしました。しかし向こう見ずにお引き受けした後で、本当に私に出来るのだろうかと恐れが湧いてきました。悶々として眠れない中、明け方夢を見ました。それは、マタイ福音書14章の湖の上を歩いているイエス様を見て、私も歩いてそちらに行かせてくださいと言って歩き始めたペトロが怖くなって沈みかけた場面でした。イエス様は「主よ、助けてください」と叫んだペトロを、手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。そこではっと目が覚め、「ああそうだ、このペトロは自分だ」と思いました。ペトロはイエス様から目を離し、強い風に荒れる波を見て怖くなったのです。私もイエス様から目を離し、一人で子育てをする毎日や幼少科のプログラム作成の為に必要なワープロも出来ないなど、現実を見た時、恐れがわいてきました。私はイエス様から目を離さず委ねていけば、神様が与えられる仕事は無事に成し遂げられると思いました。神様が私にこの夢を見させられたのだと思いました。それから神様の導きと支えの元に、ワープロを覚えプログラムを作り、毎年のキャンプやクリスマスなどを企画して、それを現実の事にしていくことを学びました。婦人会の役員として、教会の執事として、又、昼食作り、諸集会、祈祷会への参加、家庭集会の開催など、忙しいけれども楽しい教会生活でした。本当にいろんなことを教わり訓練していただき、そのすべてが、筑紫野南キリスト教会を立ち上げる時の力となりました。
その後、自分ではとても担えないと思う仕事を神様が与えられるたびに、イエス様から目を離しさえしなければ、神様が必要な智恵も力も助けも与えられるという確信のもとに過ごしてきました。そして、まさにその通りでした。現在、NPO法人「美野島めぐみの家」の理事長をしておりますが、実に様々な人が集い様々な事件が起こります。しかし大丈夫です。私は一人で対処するわけではありませんから。神様がいつも共にいて導き、一緒に活動する仲間も与えて下さっています。現在教会のバイブルクラスではヨハネ福音書、金曜集会では旧約聖書、土曜集会ではマルコ福音書とそれぞれ読んでいますが、すべてが神様から与えられた仲間であり信仰の成長の時であり伝道の機会であると感じております。
教会の若い皆様に、恐れずに神様を信じて執事や様々な奉仕を引き受けられるようお勧めします。又、力と知恵の源であるみ言葉を学ぶ為に、積極的に教会学校へ出席されますようにお勧めします。楽しいですよ。
「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。」イザヤ書41:10
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