【聖書箇所朗読】
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2026年4月26日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書27章32節
「主のために担ぐ」クレネ人シモンの話
原田 寛
クレネ人シモンは、イエスが担ぐべき十字架を無理やり背負わされてゴルゴタの丘に運んだ。マタイ福音書は、シモンとイエスの出会いをこの1節に表している。
シモンについて、マルコ福音書では、アレクサンドロとルフォスの父と記される。マルコ福音書がローマで記されたのではないかということがあるが、パウロは、ローマ16章13節でルフォスとその母に挨拶をしている。つまり、聖書の記事を照合して受け入れるならば、シモンとその家族が、福音に心を開き、救われているということだろう。
シモンは、イエスがピラトの官邸からゴルゴタの丘まで(現在、ヴィア・ドロローサ「悲しみの道」と言われている道であればおよそ600m)に、シモンとイエスの間に、何もなかったとは言えない。いや、何もなくても、主イエスの十字架を背負ったというだけで、イエスが復活した後、シモンにとっての振り返らされる事柄となったはずである。
シモンは、ヘブライ語では「シメオン」で、「神は聞いた」という意味と捉えられている(創世記29章33節)。ヤコブの妻レアは、長男となるルベンを出産した後、新しい命を授かり、自らを神に覚えられているという意味で、シメオンと名付けた。シモンの出身地はクレネ。現在のトリポリである。シモンは、過ぎ越しの祭に帰ってきたユダヤ人のひとりで、イエスの十字架を背負うことにより、苦難の真っただ中にいるイエスと共に歩んだ。人々のイエスに対する嘲り、罵倒を受けるように歩んだ。対するイエスは、応じることなく忍耐して丘へとのぼった。その後に展開することもすべて受け入れて・・・。それは、全ての人の罪を背負う神の子の姿だった。イエスとの関わりは、シモン自身が神に祈りが聞かれ覚えられていると信じる事柄になったのだ。
共観福音書は、クレネ人シモンの名を記す。彼は、十字架を背負いつつ自分を振り返っただろう。そして、救われた。「十字架の言葉」が語られるところで、常に主の十字架を共に担ぐ者である。シモンにとっても十字架の言葉が神の力であることを信じる者にも意義深いこと。神は、ひとりひとりを覚えておられる。主と共にわたしたちも十字架を担ごう。
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