【聖書箇所朗読】
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2026年5月17日説教要旨
聖書箇所 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章10~11節
主と共に生きる
原田 寛
パウロは、第二回の伝道旅行で、テサロニケに伝道し、少数のユダヤ教徒と多数のギリシャ人改宗者によって教会を建てた。しかし、パウロは、できたばかりの教会を育て養う間もなく、迫害に遭いテサロニケを後にすることになった。パウロは、ギリシャに行ったのだが、テサロニケのことを心配しテモテを送った。テモテは、テサロニケ教会がユダヤ教徒からの迫害に耐え、信仰を保ち、教会としての歩みがしっかりしている吉報を伝えた。その際に、ふたつの問いを持ち帰っている。
ひとつは、キリストの再臨の時期について。もう一つは、すでに他界した者は再臨にあずかりえないのではないかというものだった。テサロニケへの第一の手紙は、問いを発したこの教会に対するパウロの応答である。
「主は私たちのために死んでくださった」・・・パウロは、問いを発した教会に対し、親身に対応するだけでなく、信仰の原点としての、的外れな歩みをしてきたすべての人のために十字架に架けられ死なれた主イエスを示す。これは、パウロ自身が心に深く憶えていることである。パウロは、主の死を通して神の愛と恵みに触れたのだ。教会に対する迫害者であったにもかかわらず、罪を赦され、受け入れられ、福音を宣教する使徒として立てられた。彼の賜物は、初代教会の様々な事柄やすべてのキリスト教会の業のために用いられた。
「『主と共に生きる』ため」・・・は、パウロ自身が十字架につけられた方をリアルに覚えていたことだ。テサロニケを後にしたときも、また、その後、迫害に遭い、艱難を受けている時も、主が共におられると信じた。信じることの中で、確かに神に愛されていると思ったことだろう。そして、愛されているのだから愛をもって教会に仕えることができたのだ。
パウロは、ローマ書の中で次のように展開する「誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。苦難か、行き詰まりか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。・・・これらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださる方によって勝って余りがあります。・・・」(8章35節以下)
今日、御言葉に心を開き、信仰をいただいたわたしたちもパウロが示すように、「主と共に生きている」のである。
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