【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年6月28日説教要旨
聖書箇所 ゼカリヤ書14章7節、ヨハネによる福音書1章5節
夕暮れにも光有り
水野 英尚 かたえキリスト教会牧師
聖書には「光」という言葉が数々出てきます。天地創造の物語で神は「光あれ」と「光」を創造します。また、今朝のヨハネによる福音書では、イエス・キリストの到来を、「光」として描いていると言えます。イエスご自身も「光の子らしく歩みなさい」と言われます。そのように、キリストに従う者たちもまた「光」だとされます。そうした「光」ですが、あらためて皆さんにとって「光」とは何でしょうか?またどのようなイメージを持たれていることでしょうか。「光」は当然、明るいものであり、闇を照らし、闇に輝くものであります。ですから「光」のイメージは、きっとポジティブで前向き、そして肯定的なものではないでしょうか。
日本の福祉の父と呼ばれる糸賀一雄は、重度の障害を負う人たちとの関わりをしていく中でこう言いました「この子らを世の光に」。この糸賀の言葉は、重い障害を担い生きている彼・彼女らの苦痛に満ちた不憫な姿を見て、人々が憐れみと良心の心でもって「この暗闇に住んでいるような人たちに愛の手」と、声高に叫びスローガンに掲げ、「この子らに世の光を」と寄付活動や慈善事業を行うことに対して、いや違う、そうではないんだ「この暗闇にある、この子らに世の光」ということではなく、「この子らを世の光」にすること、向こう側に輝く「光」を見出すことこそ本来の姿なのだとしました。つまり、糸賀によれば、私たち多くの人々が見ている「光」、つまり煌びやかで、人々が焦がれるような「光」が、「光」とするのなら、糸賀の言う「この子らを世の光」という、その「光」は、それとはまったく違うもので、糸賀はそれを「異質な光」だと言っています。
私も、これまで重い障がいを負う仲間たちとの歩みの中から教えられ続けてきた中で、本当にそうだと思います。そして、実にイエスによって示さる、その「光」は、まさに「異質な光」なのだと言えるのではないでしょうか。では、私たちがその光を見出すこととはどういうことになのか、そして、私たちにとって、その「光」はどのような意味があるのか、それをご一緒に考えてみたいと思っています。
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