【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年8月23日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書18章15~20節
ふたりまたは三人が
原田 寛
人は、その人間関係において乗り越えることができないと思える問題や課題を抱えてしまうことがある。そして、それらは結果として諦めや破局という言葉で終わらせていくことが多い。今朝の聖書は、そのような私たちが深く教えられる箇所で有り、自分自身も「兄弟(姉妹)」も主イエス・キリストが真に共におられることを知らせる言葉である。
「兄弟(姉妹)が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。」普通、罪は人の目に隠れている。しかし、あなたは、兄弟(姉妹)が罪を犯そうとしていることが分かったなら、罪を犯そうとしている兄弟(姉妹)とふたりだけのところで忠告しなさいということだ。その罪は、明るみに出されないですむし、罪を犯さないで大切なことを共有したので、心を通わせる親しい友を得たことになるのだ。
しかし、聞いてもらえないことがある。その場合にあなたは、一人か二人を連れてゆき、その罪について説明させよと言われている。それは、罪の事柄がどのようなものかがすべて解ると言われている。このような交わりで、罪を未然に防ぐことができれば、一人の人を失わないで済むことになる。
「ふたりまたは三人の証言者」について、申命記19章15節以下で「いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないしは三人の証言によって、その事は「立証されなければならない」と記されている。正しいことは第三者によってしっかりと示されなければならないということだ。
主イエスの言葉は、次に向かっている。それは、「兄弟(姉妹)」がなおも認めないなら、「教会」にその舞台を移すようにと言われている。「教会」は、主に呼び集められた者の群れという意味で伝えられる。「呼び集められた者たちは、主イエス・キリストによって罪が贖われ救われた者たちであり、赦されて清められ神の子とされた人たちの群れ」である。つまり、主イエスの愛に触れ赦された人たちである。教会は罪が指摘され裁かれるのでなく、主イエスによって赦されるのである。・・・「ふたりまたは三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいる」。まさにイエス・キリストの教会のことだ。
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