【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年8月2日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書11章28~30節
重荷を負っている者はわたしのもとに来なさい
原田 寛
2節以下でバプテスマのヨハネは、ヘロデに捕らえられ牢獄にいたが、キリストのなさっていることを耳にし、弟子たちを遣わして「来るべき方はあなたなのですか」と聞かせたという。ヨハネは、自分の時間が少ないことを悟っていたと思われるが、同時に、「神の国は近づいた。…私は、私の後から来られる方の靴ひもを解く値打のないものだ」と語ってきたこととイエス・キリストとの関連を求めたのだ。イエスの答えは・・・11章4節以下
20節以下でイエスは、「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡がティルスやシドンで行われたら、…彼らは悔い改めていただろう」と言われた。ガリラヤの人々は、イエスの語った言葉をなさった多くの奇跡を目の当たりにしてきたのだったが、イエスに心を開き従い続けたのは、どれだけだったのだろうか。ガリラヤの人々は、ユダヤ教の教えと共に主イエスの教えより優先される避けてはならないと考えられる現実があったのだ。
「重荷を負って苦労している者は私の下に来なさい…」と語るイエスは、人が抱える重荷をすべて知っておられるし、重荷を負っている人自身のすべてを受け入れておられる。

軛を負って畑を耕す2頭のロバ
イエスは父ヨセフの家業であった「大工」を受け継いでいたと言われる。家畜に背負わせる農機具のひとつ「軛」の製造は大工の仕事だったと言われている。イエスの仕事は、家畜の負担を軽減し貴いものであった。
私たちも幾度となくこの御言葉に励まされてきた。そして、確かに「重荷は軽くなった」主イエスを信じたからだ。信じることで「愛されている」ことを悟り、「愛すること」を教えられてきた。主はともにいてくださる。真に感謝する。
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