【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年11月8日説教要旨
聖書箇所 ガラテヤの信徒への手紙3章26~29節
キリストに結ばれて
原田 寛
「あなた方は皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」26節
この御言葉は、私たちイエス・キリストの教会に集うひとりひとりを支え、神と信じる私たちを結んでいることを示している。要は、やはり真の神を信じる「信仰」である。
的外れ(罪)な生き方をしてきた私たちは、私たちの罪を背負って死んで下さった主イエス・キリストによって示された福音によって正されてきている。主イエスは、自分自身の命を懸けて示された。だから、私たちも実存を懸けてそのことに応えてきている。
ヘブライ語に「ネフェシュ(נֶפֶשׁ)」という言葉がある。一般的に「魂」と訳される。「ネフェシュ」は、創世記2章7節に用いられている『命の息』であり、生きる人と命を授ける神とを具体的に結びつけている言葉である。命あるものと神とが結びつくという点で、「信仰」は、第三者がはかるものではなく、その人自身のものである。キリストは、神から授かったネフェシュ(命の息)を十字架の死に至るまで忠実に生きたのだ。そして、神はそのキリストに永遠の命を授けたのだ。
神は、神が授けた命を生きる者に向き合って下さる。私たちは、聖書を通じてイエス・キリストを知り、神の御言葉を知るようになった。知るようになったのは、神を信じたからだ。それは、自分で信じたと言えるのかもしれないが、信仰を授かったとも言える。それが「キリストを着た」ということだろう。神は、ひとりひとりにキリストの福音に出会うように道を用意しておられた。神がきっかけを与え導かれた。私たちは、それぞれ歩んできたところがある。そして、その上にキリストを着て、キリスト者になっているのである。
神は、キリストがキリストらしく歩まれたように、私たちが私たちらしく歩むように導かれる。「アブラハムの子孫」は、神の約束を聞いて信じたアブラハムと同じようにキリストの福音を信じて歩んでいる者たちのことだ。私は、神には神の目的があるから、神を信じ神に頼るようにする。それは、小さな子が親を頼るようでもあり、そして、親は必要なものを知り与える。今から心を開いて信じる者となっても遅くはない。子どもは、親のすべてを知らないが、親のものを相続する時に親のことをもっと知る機会となる。同様に約束の相続人は、神の国を相続する者ということだ。神の国を相続する時、真の神の豊かさを知る時であろう。
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