【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年8月23日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書18章21~35節
赦しなさい~自身も
原田 寛
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」このペトロの質問にイエスは、「あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい」であった。
イエスのたとえは、「主君に全面的に赦されたのに仲間を赦さない家来」について物語る。このたとえは、主君に1万タラントン借金をしている家来が、期限に返済できず主君に借金を帳消しにしてもらった話である。主君は、家来に借金のために自分も妻も子も、また持ち物も全部売り払って返済するよう命じたが、家来は支払期限の延長をひたすら求めた。主君は、家来を憐み、借金を帳消しにする。家来は、重荷が一気に軽くなったはずだが、家来に100デナリオンの借金をしている仲間に出会って、「借金を返せ」と迫った。そして、返せない仲間を牢に入れてしまうのだった。主君は、そんな家来の行いに目を留め、家来を赦さず、牢に入れてしまう。主イエスは「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるだろう。」とたとえを締めくくる。
ペトロが問う「わたしに対して罪を犯す兄弟」というのは、だれを指し、罪というのはどのようなものなのだろうか。たとえ話から察するに「共に主君の下にある仲間」と考えられる。そして、仲間通しの関係において課題が生じ、おそらくは課題克服のために取り組んだ事柄であったが、信用を失わせ関係を損なってしまうようなことに繋がってしまう。「罪」は的外れの意。律法では神の怒りを買い滅びに通じる事だ。そして、家来の罪から仲間の罪。また、罪は連鎖することも示されている。たとえ話を聞くものは、「赦されたのだから、赦せばよいのに」と思うだろうが、わたしたちの現実は、どうだろうか。「赦さない」との思いを重ねていないだろうか。また、逆に「赦されない」ことを人に押し付けていないだろうか。中には、自分自身の過ちを「赦されない」と考える者もいるだろう。
主イエスが命じられた「7回を70倍」は、無自覚なことでない。神は、主イエスの十字架の死を通して私たちをこれほどに赦されるのだ。だから、赦されている者は、自分自身も仲間も「赦しなさい」と命じられている。「赦す」と関係は損なわれず育っていくものだ。
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