【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年9月20日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書22章34~40節
最も重要な掟
原田 寛
フィリピ2章6節以下に、神が人となったと記されている。私は、この御言葉に神の愛を覚える。愛する人々のために自らを変えたということだ。私たちは愛する者のためにここまで考えているだろうか。キリストは、「隣人を自分のように愛しなさい」と命じている。
先日召された義父のことだが、2008年夏M家とH家で会食をしたことがあった。
懐かしい写真だね。私の父は、陸軍士官学校・在学中に、義父は、陸軍幼年学校・在学時に終戦を迎えた。それぞれ、太平洋戦争の戦時下においては、同じ方向を向いて歩んでいたと思われる。父は、帰郷してクリスチャンになった。その入信の時の話をしようとした。しかし、義父は、「俺の前で、その話はするな!」と話を切った。周りは、どうなることかと心配した。
あの会食のあと、義父は、「自分はあまんじゃくだ。白と言われれば黒という、黒と言われれば白という。」そして、もぎゃドンとも言った。それは、肥後もっこすのことで、他人の意見に左右されず、自分の道を進むということだった。
2009年11月、父は、心臓のペースメーカーの電池交換をした。私は、入院中の父を見舞うために帰福した。義父母は、私に伴った。病床の父は、義父母に自分の献身時のことを話し始めた。義父はまた拒否するかと思ったが、今回は最後まで聞いた。
父は、郷里では優秀な人だと評判だった。父の両親は、敗戦後、医者になることを期待したが、入信して牧師になるということで、親族の中には公然と反対する者がいた。父は「心を癒す医者になる」と述べ、反対する親族に両親の支援のもとで受け入れていただいた。
義父は黙って聴いていた。若い頃の義父は、「俺の前で特伝の話はするな」といい、娘がバプテスマを受けると言えば「勝手にしろ」と言い放っていたのだが、時が進む中で教会の執事を務めるようになっていた義母を支えてきたし、義母もそのことを喜んだ。そして、共に礼拝に出席するようになる。父は、その年の暮れに召天した。認知症がすすみ、2017年にグループホームに入所した。2019年のある日、三女のTと共に外出先から帰る途中、Tは「あめに宝積めるものは・・と讃美歌を歌った。義父はその讃美歌に「何度も、アーメンと言いたいと思った」と伝えた。その言葉で、入信の意志を捉えて、病床洗礼を受けることとなった。義父は、愛する者と共に歩み、変えられてきた、いや変えてきたのだなと思わせられた。
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