【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年10月11日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書25章1~13節
備えは今から
原田 寛
「十人のおとめ」のたとえ話から、神の国へ行く道の備えは今からであることを学びたい。
これは、「天の国は次のようにたとえられる」とはじまる話であるが、24章に記されるキリストの再臨の時期に関わる話である。再臨の時期は、結論として24章36節にあるように「その日、その時は、誰も知らない。ただ父だけがご存じである」ということだ。
そこで「十人のおとめ」のたとえ話が示していることは何かを考えたい。この話で登場しているのは、婚姻の花婿を迎える5人の賢いおとめと5人の愚かなおとめである。予期せず花婿の到着が遅れ、灯をともして花婿を迎えるところであるが、賢いおとめは花婿が遅れても灯のために十分な油を用意することができていたが、愚かなおとめはできていなかった。真夜中に花婿が到着した際、愚かなおとめたちは、灯の油が切れてしまったということだ…。
おとめが持つ灯には油が必要だという事だが、灯は夜中に到着する花婿を確認し、その安全のために足元を照らす明かりである。そして、喜びの婚姻を支えるのである。また、花婿からすれば、自分自身が確かめられ受け入れていただく大切な明かりである。おとめはなくてはならない必要な存在なのである。つまり、灯がなければ婚姻の舞台が整わないということなのだ。
聖書は、これから神が成そうとしておられることとして「終末」ということなのだが、それは「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて生みの苦しみのはじまりである。…」(マタイ24章7~8節)ということで、信じる者にとって穏やかな事柄ではないと考えられる。穏やかな事柄ではないと考えられるのは、このたとえ話においては花婿到着の遅延、待つおとめたちの眠気、備えていた灯の油の不足である。そもそも婚姻は「喜びの宴」である。天の国は、真の神が備えておられる喜びの場であるといえよう。そして、その場のために、みな協力し合うのである。
私たち信じる者は、灯をもつおとめのように必要とされている。そして、私たちに必要なことは、神の備えたもうた宴に、御言葉に学びながら私たちも相応しい者になっていくということだろう。それは、受け入れがたいようなことに遭遇したとしても、すべてを主にお委ねしつつ、灯の油を準備するように。主を信じる信仰を育てていくという事ではないだろうか。
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